大阪毎日新聞朝鮮版 1930年(昭和5年)2月13日付より引用 朝鮮稼働者の内地入り激增
旧正月に帰省した朝鮮人の内地再渡航に関する記事。1929(昭和4)年の釜山港を経由した内地渡航者数を153,570人、帰還者を98,275人としているが、この数字は「当局の調査」つまり朝鮮総督府で調査集計されたものであり、「戦前における在日朝鮮人の人口統計」(朝鮮学会『朝鮮学報』第48輯所収 1968)など森田芳夫の論文、書籍で取り上げられている数字と一致している。森田は該論文に於いて数字の出典を朝鮮総督府警務局保安課『高等警察報』第3号及び土師盛貞『内地移住朝鮮人状況』としており、記事のような朝鮮総督府の調査集計した数字がそれらに記載されたものと考えられる。
1929(昭和4)年12月末時点での内地在住者数338,533人についても同様に朝鮮総督府で調査集計したものであろうと考えられるが、『高等警察報』第3号には記載がない。なお、内務省警保局『社会運動の状況3 昭和六年』(三一書房 1971)では275,206人という数字を記載しておりかなりの差がある。
本記事は韓国国史編纂委員会韓国史データベースに所蔵。
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朝鮮稼働者の內地入り激增
舊正月を濟まして
關釜連絡船で一日四、五百人
不景氣と失業で、內地在住の朝鮮人勞働者が歸還するものが一時激增したが最近舊正月を終へて以來渡航者がまた/\增加して每日朝夕釜山發の關釜連絡船で渡航するものが一日四百名乃至五百名に達します/\增加する傾向である、なほ當局の調査によれば去年中釜山通過もしくは寄港した各船舶による鮮人勞働者の動きは渡航者が十五万三千五百七十名歸還者が九万八千二百七十五名で大正六年一月以來昨年十二月末日までの統計では渡航者總數は百十八万六千三百十名、歸還者總數は八十四万七千七百七十七人
結局內地在住者總數は三十三万八千五百三十三人に達することが判明した。(釜山發)