京城日報1940年4月2日号より引用 創氏の歓喜は沸る

この年は朝鮮民事令の改正、所謂創氏改名が行われた。

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創氏の歓喜は沸る

きのふはけふと届出激増し

既に四萬件を突破

 

二月十一日から開始された「創氏制度」は日と共に益々その著出敷を増して三月廿日までに四萬百五十名に達した、総督府民事課で特別に届出数を調査したところ、慶北が二萬四千四十四名で圧倒的に多く全数の半分以上を占め、慶南が二千六百二十六名で二位、お膝下の京畿道は二千四百八十八名で三位、一番少いのは忠北四百九十三名、黄海道六百七十五名である。全鮮届出敷を月旬別にみると、二月中旬が六千八百十八名、二月下旬は八千九百三十四名、三月上旬一萬一千八百八十六名、三月中旬一萬二千五百十二名と日が経つに従って増加している。

各道別創氏届出敷は次の通りである。

▲京畿二四八八

▲江原八九一

▲忠南一〇一二

▲忠北四九三

▲威南二二二七

▲威北一二〇七

▲平南一五四四

▲平北一〇六四

▲黄海六七五

▲慶北二四〇四四

▲慶南二六二六

▲全南七五三

▲全北一一二六

計四〇、一五〇