大阪每日新聞朝鮮版(昭和9年2月2日付)内地居住の朝鮮人勞働者に溫い救ひの手

1920年代、内地渡航朝鮮人の増加に伴い、各地で朝鮮人労働者に対する扶助援護を行う融和親睦団体が設立されるようになっていった。

その中でも、1920(大正9)年ごろに朴春琴、李起東らによって東京に設立され朝鮮人労働者の人夫小屋を備え実費診療を行っていた「相救会」は、翌1921(大正10)年に社会事業団体「相愛会」となり、1923(大正12)年末には横浜、甲府、名古屋、大阪に各支部を設置し、朝鮮人労働者の共同宿泊、診療、職業紹介と相談、救済保護の他、留学生の援護などを行うようになっていた。1928(昭和3)年には財団法人となり、元朝鮮総督府警務部長、元警視総監で貴族院議員の丸山鶴吉を理事長に据え、全国各地に支部を置き会員数は2万人に達した。

しかし、それら融和親睦団体の多くは民間の運営であり、この記事からは、朝鮮総督府の支援、関与が不十分であると認識されていたことがわかる。

1933(昭和8)年10月、内地在留朝鮮人の現況調査と指導の根本方針について内務省社会局は研究を開始し、翌1934(昭和9)年4月から内務省・拓務省と朝鮮総督府が協議した総合対策案が10月「朝鮮人移住対策の件」として閣議決定され、内地在留朝鮮人に対する指導と援護が本格的に行われることになった。この記事は、朝鮮総督府が府内での調査と合議を経て、4月からの内務省・拓務省との協議に繋がっていく過程を報じたものと考えられる。


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大阪每日新聞朝鮮版
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在滿同胞と同様の保護救濟を講ず

(京城發)内地に渡航してゐる朝鮮人勞働者は約四十万人に上ってゐるが、これに對する總督府従來の保護施設としては、内地各地にある内鮮融和團體に補助を支給する程度で、その保護については内地各地闗係廳に一任して來たが、近來浸潤する社㑹不況の結果、勞働者たちは何れも非常な窮狀振りで、池田警務局長は今回東上に當り、親しくその實情を調査した結果、在滿朝鮮人に對する保護救濟が十分に行届いてゐるのに對し、余りに在内朝鮮人に對する保護の薄いのに驚くほどで、このままゝ放任することは絶對に許されない事情にあるので、總督府警務局では外事、社㑹各闗係局課と合議し、在滿内地朝鮮人の保護救濟法を同一水準にまで引上げる大評定をすることとなった。