京城日報 1944年(昭和19年)10月7日付 應徵士現地報告

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応徴士現地報告

記者は一日、各坑を訪れ地底の職場職場に、必死敢闘戦士を慰問し、親和寮、協和寮と廿数か所に分かれた寮の数カ所を訪れて、つぶさに生活状況を視たが、ここはさすが三井の経営する炭鉱だけあって、坑内の状況も、寮の状態も福利施設も実に至れり尽くせりであった。最後の、その寮の一つ、四ツ山坑の記念寮で隊長代表として左記三者の参集を求め、二階の一室で折から有明海を照らす満月を眺めながら、管理者を交えず十一時近くまで座談して、赤裸々なここでの生活を聴いた。

 

京城第三隊長 岩元秀夫君

同      金山成澤君

慶南統営隊長 国本延来君

 

有難いこの職場
坑道内では誰もが親切

問 『京城隊』というのが沢山あるやうだが…

金山君 京城隊は志願隊だから各地の人が混じっている。僕自身も平壌の者ですし、岩元隊長は大邱の人です。

問 今夜は皆さんの赤裸々な話をゆっくり聴きたいと思って、炭鉱の係員も寮長さんも遠慮してもらったので腹蔵なく話してください。よいこと、悪いこと、嬉しいこと、腹の立つこと何でも構いません。

岩元君 悪いことといって別にない。飯も腹いっぱい食っているし…欲を言えば家族と別れているので辛い程度ですが、これも考えようで。前線の兵隊さんのことを思えば、このくらいのことで辛いなどと思っては申し訳ない。

国本君 そうだ、僕の隊も郷里に妻子を残している者が六割だが、皆そういっている。戦闘に勝つためと思えば、こんなの苦労のうちには入らないなどと話しあっている。

岩元君 それから、京城日報でぜひ共朝鮮の人々へ伝えて貰いたいことがある。それは、現在の炭鉱というところは絶対に危険なところではないことです。僕なども、ここへ来るまではそう思い込んで、実に悲壮な覚悟でやって来たが、とにかく朝鮮の人々は炭鉱というところは危険なところで、そこへ行けば絶対に生きて帰れぬと思い込んでいる。これは大変な間違いで、殊に内地の大炭鉱は設備がよいので、絶対に大丈夫であるということを、ぜひ知らせて下さい。

金山君 そうだ、そのことはぜひ知って貰いたい。そして、一人でも多く進んで、炭鉱に来て貰って一刻も早く一塊でも多く炭を掘りださねばならない。僕は以前、朝鮮で四、五年炭鉱に勤めたことがあるが、鮮内の炭鉱と内地の炭鉱とでは、その設備が比較にならない。とても、内地の炭鉱は進んだものです。

国本君 実際、駅などで家族と別れるとき、家族達が泣いているが、田舎になるほど炭鉱を恐怖している。生きて会えぬと思って別れているのだからね。笑えもしないよ。今頃の炭鉱は、そんなところではない。内地の勤報隊など、どんな身分のある人でもお金持ちでも、進んで炭鉱に繰り込んでいる。半島の同胞も今少し炭鉱に対する認識を改めないと、敵米の奴共に笑われる。

問 そんな風だったら、最初入坑するときは皆恐がるだろう。

岩元君 それは、炭鉱の方で一ヶ月準備教育をして、それから入坑させますので、その間に皆すっかり炭鉱の実情を知り安心して入坑します。

問 準備教育は、どんなことをやるか

金山君 主として、規律訓練と国語の勉強ですが、最後の週には坑内外の見学や市内見学などもある。

岩元君 僕など、ここへ来た時から、内地に来たような気持ちがしません。田舎から来た人はそうでもありますまいが…。

金山君 都会の隊で理解者九割程度、田舎の隊は大体その反対の一割といったところです。

国本君 言葉が通ぜぬでも、仕事には差し支えないよう、作業の組を編成してあるから、最初から不便を感じない。それに、三ヶ月もすれば大体日常の仕事に差し支えない程度である。収入がその程度であるが、支出が一日六十銭の食費を支払う他は一切不要なので、貯金も国許送金も沢山できる。この寮では毎月三十円国許へ送って、その残りからまた百円宛貯金しているのが最高です。

金山君 僕の隊の者には、収入を皆こちらで貯金して、故郷に錦を着て帰るのだと頑張っているのがいるが、一年一ヶ月でもう三千円近くなっている。二年の満期で帰る頃迄には、五千円は突破するだろう。

国本君 生活費が要らぬので、貯金をうんと出来る。それに、病気をしても全部こちらで診て貰える。

岩元君 そうだ、医療施設も至れり尽くせりであることは、ぜひ鮮内の人にも家族達にも伝えたいことだ。公傷は勿論一文も要らないが、そうでない病気の場合でも、最初一回五十銭払うだけで、どんなに永く薬をのんでも、一文も要らぬ。

金山君 僕は腹一杯喰っています。

(記者注 寮の食堂で記者も食事を摂ったが、普通の三食分以上である)

国本君 二番方の時は、その量で四食喰いますからね。腹一杯です。

岩元君 それに、胡椒も掴み取り出来るほど食卓に準備している。にんにくはないが、これもいつの間にか習慣になって欲しいとも思わぬ。たまに、にんにくを喰ったものでもあると、寮中臭い臭いと言っています。

問 内鮮関係は

国本君 最初は国語が分からぬために、現場で感情問題を起こしたりすることもあったが、今ではもうそんなこともない。仲良くやっている。

岩元君 現場では、御覧になられた通り、地の底であんなにして働いていると双方からすっかり兄弟か親子のような気持ちになってしまって、内地人の先山さんが酒の配給があったからと云って夕飯を呼べば、こちらの連中も石鹸の配給があったからと云っては、先山さんの社宅へ持って行くといった具合で、和やかな内鮮一体風景ですよ。

問 満期になったら帰りたいと云っているが

岩元君 そういうのは、何百人中の一人から二人かといった例外者です。しかし、今日本が戦いに勝つために自分達の働きがどれほどお役に立っているかということは皆がよく知っているので、その例外者と雖も、国家が必要というなら二年が三年になり、四年になっても頑張り抜こうと思っています。

国本君 統英隊の者で去る三月、満期で十三名帰ったが、そのうちの十一名はまた会社に願い出て、その費用も会社が持ってくれ、その上家族手当が一人五円宛つく様になる。

岩元君 ここでも、最近に家族を呼び寄せた人達は六二、三家族あるが、それらは皆内地人鉱員社宅の中に一件置きに社宅を貰って、常会も買い出しも内地人と仲良く暮らしている。定着希望者は殖える一方です。