南鮮日報(昭和5年5月27日付)内地の朝鮮人が鄕里への送金

昌原郡は、慶尚南道の南部、沿岸部にあり、嘗ては鎮海港・馬山港を区域内に含んでいた。鎮海港は日本海軍の要港部(のち警備府)が置かれ、馬山港は朝鮮時代末期に開港していた。この記事は、昌原郡から内地に渡航し在留中の朝鮮人数とその送金額について述べられている。

1929(昭和4)年末時点での内地在留朝鮮人数は275,206人(森田芳夫『在日朝鮮人処遇の推移と現状』p5掲載表による。坪江仙二『在日本朝鮮人の概況』p10掲載表では276,031人)であるが、昌原郡だけで約2%を占めていることになる。元来、同郡を含む慶尚南道から内地への渡航者自体が多く、1937(昭和12)年末には38.4%を占めるようになった(前掲坪江p14掲載表から算出)。在住地として、大阪、京都、兵庫、福岡、東京を抜いて愛知が第一位という結果が出ているが、理由についてまでは読み取れない。

送金額については、総計154,215円であるので一人当たり約27円69銭となるが、やはりこれだけから読み取れることは多くない。1927(昭和2)年9月の慶南警察部の調査(大阪市社会労働課『朝鮮人労働者の近況』p44掲載表)には、内地在留年数別の貯金額・送金額の統計があるが、これは朝鮮帰還者を対象とした調査であり、この記事で扱われている在住者とは別に考える必要がある。

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南鮮日報
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昨年中で十五万四千圓

昌原郡廳の調査する處によると、昭和四年十二月末の現在、郡内出身朝鮮人にして内地に在住するものは 5,570 名にして、其の分布狀況は

△愛知 1,117△大阪 995△京都 878△兵庫 834△福岡 601△東京 561△山口 358△廣島 248△神奈川 62△岡山 181△181△静岡 170△長野 130△長崎 105△滋賀 104△奈良 102

を主なるものとして沖繩縣を除くの外、全國に亘り遠くは台灣に 6 名、樺太にも 3 名を居住し居れるが、昨年中出稼地より其の鄕里に送金したる金額は、15 萬 4,215 圓に達して居るが、一萬圓以上を送付したる面別は左の如しと

△12,500 圓内西面△11,337 圓北面△27,300 圓上南面△12,600 圓鎭田面△21,190 圓熊川

等にして、送金者なきは大山面一面であると。