協和事業とは何んなものか

発行:1940年(昭和15年)12月10日

著者:武田行雄(財団法人中央協和会)

国立国会図書館所蔵

 

昭和14(1939)年6月に設立された「中央協和会」は、従来各地に存在した行政レベル、民間レベルでの内地在住朝鮮人に対する援助、互助団体を「地方協和会」として統合再編したもので、厚生省・内務省の外郭団体として、それらの現役幹部が中央協和会の理事・参与・参事などに就任し、地方協和会は府県知事が会長に、学務部長、警察部長、社会課長、特高課長らが理事に就任し、その下部の協和会支会は、警察署長が支会長に就任し、内地在住朝鮮人の指導統制に従事した。筆者の武田行雄は、協和叢書の編集者兼発行人で厚生省協和官・中央興生会参与であり、同書は協和事業の周知宣伝のために執筆されたと見られる。

著作者:
武田行雄(財団法人中央協和会)
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        は し が き

 朝鮮から内地へ来住して居る人々の数は、大正六年に於いて一万五千人位でありましたが、其の後年々増加致しまして、大正十二年では八万人を超過するに至り、色々の間題が発生して社会的に注目さるゝに至りましたので、事態を憂慮した民間篤志家は内鮮融和事業を開始して、朝鮮同胞の指導教化に努力したのであります。併し内地への来住者は其の後も年を追ふて増加し、昭和九年では五十三万人を超過し、経済界の不況等の事情もあつて、内鮮人間の問題が愈複雑化する傾向が窺はるゝに至りましたので、政府当局に於ては慎重研究の結果、本間題に関する根本方針を定めまして、従来の如く民間有志の篤志的事業に一任することなく、率先自ら政府機関を活動せしめて、本問題の解決に乗り出すことゝなつたのであります。昭和十一年愈々予算が確定致しましたので、協和事業の名称の許に政府事業として開始され厚生省がその主管庁となつて実施に当ることになつたのであります。さてこの協和事業とは何んなものであるか。いまこれを明かにする為に、先づ協和事業は何を目的として居るか、次に其の目的を達成する為に何のやうな方法を採るのであるか、最後に何のやうな機関により何んな手段によつて其の実現を図るものであるかの三つに分ちて説明を加ふる事に致します。

 

     (一)協和事業の目的

 

 先づ協和事業は何を目的として居るかと申しますに、協和事業は「一視同仁」の聖旨を奉体いたしまして、内地に在住する外地出身の人々を、速かに内地の生活に融け込ましめて、国民偕和の実を収むる事を目的として居るのであります。

 次に是を分説することに致しませう。

 第一に、協和事業は「一視同仁」の聖旨を奉体して、之を事業の出発点とし、指導精神とし、又帰着点とするものであります。即ち協和事業は「一視同仁」の聖旨を、一般国民の実生活の上に実現するものでありますから、「一視同仁」の具現が事業の動機であり出発点であります。又「一視同仁」を基調として、外地同胞の内地融和を図るものでありますから、「一視同仁」は協和事業を遂行する上に於ての指導精神であります。最後に、あまねく、内地に於ける国民生活の上に「一視同仁」の社会が完成した暁には、協和事業は其の使命を完く成し遂げたものでありますから、「一視同仁」の具体的実現を其の帰着点とするものであると云ふ事が出来ませう。

 然らぱ「一視同仁」とは何のやうな事でありませうか。

 畏くも 神武天皇は奠都の詔の中で、

 「八紘(あめのした)ヲ掩(おほ)ヒテ宇(いへ)ト為(せ)ム」

と仰せられました。此の詔は 神武天皇が日向の地から御東征の途に上り給ひましてから六ヶ年の間、幾多の困難と闘はれ、皇兄五瀬ノ命をうしなひ給ふ程の御悲痛にも屈せられないで、天ツ神の御子としての御信念と天業恢(くわい)弘(こう)の御精神とによりまして、遂に其の大業を成し給ひ、御即位前二年三月七日、都を大和橿原の地に奠め給ふに当つて下し給ひました詔でありまして、皇祖の神勅に基づいて我が肇國の大精神を具体的に示し給ふたものであります。この詔の大御心は天下を挙げて一家のやうに大和(たいわ)し、相倚り相扶けて発展せしめようとの意であると拝察せらるゝのであります。

 御歴代天皇は此の御精神を御継承遊ばされたのでありまして、明治天皇は明治二十六年二月十日、「在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員二告ク」の詔に、

「皇祖国ヲ肇ムルノ初ニ当リ六合ヲ兼ネ八紘ヲ掩フノ詔アリ」 と仰せられました。聖徳太子が憲法十七条に、

「和ヲ以テ貴シトナシ忤(さか)フルコトナキヲ宗卜為ス」

と示し給ひましたのも、此の御精神をお説き遊ぱされたものであります。此の八紘一宇の大精神は、天祖がもろ〱の民草を愛(いつく)しみ育て給ふ皇威の現れであり、「和」の御精神と拝察されるのでありまして、此の大和(たいわ)の精神が万世一系君臣一体となり、国民生活の上では家族制度となつたのであり、又過去に於いて多数の帰化民が抱擁同化せられた源なのであります。

 此の肇国以来の国史を一貫する八紘一宇の大精神は、又 明治天皇の御代、新たに外地に多くの民を迎ふるに当つては、其の綏撫に軫念あらせられ、「一視同仁」の聖旨として顕現さるゝ事となつたのであります。即ち先づ台湾の地に新なる同胞を迎へては、明治二十九年十二月二十五日、帝国議会開院式に於ける勅語に、

「台湾ニ於ケル人民ノ撫育ハ、朕カ深ク軫念スル所ナリ。将来益々秩序ヲ整頓シ福祉ヲ増進セムコトヲ要ス」

と宣ひ、亜いで明治三十年八月二日、京都御所に於て乃木総督に次の勅語を賜はりました。

「台湾諸島朕カ版図ニ帰セシヨリ日尚浅ク、新附ノ民未タ或ハ其ノ堵ニ安セサル者アラン。宜シク民情旧慣ヲ観察シ撫恤ヲ加フヘシ。卿普ク朕カ意ヲ体シ、官紀ヲ慎粛シ政綱ヲ簡明ニシ、以テ徳化ヲ宜揚スルコトヲ勉メヨ。」

 更に大正八年、田健次郎氏台湾総督に任ぜられまするや、同十一月十一日に総督府に登庁し、直ちに次のやうな施政方針を訓示して居ります。「前略………抑も台湾は帝国を構成する領土の一部にして当然帝国憲法の統治に従属する版図なり。………中略………本島民衆をして純然たる帝国臣民として、我が朝廷に忠誠ならしめ国家に対する義務観念を涵養すべく教化善導せざるべからず………中略………先づ以て教育の普及を務め、一面其の智徳操を啓発し、一面我が朝廷蒼生撫育の精神と一視同仁の聖旨を感得せしめ、之を醇化融合して内地人と社会的接触上何等逕庭なき地歩に達せしめ、結局政治的均等の域に進ましむぺく教化普導せざるぺからず、」云々。これを以てしても、台湾総督府当局が、「一視同仁」の聖旨の具現に如何に考慮を巡らしたかが窺ひ知らるゝのであります。

 明治四十三年に至り韓国併合の事がありまするや、同年八月二十九日、併合につき詔書を下し給うて、

「民衆ハ直接朕カ綏撫ノ下ニ立チテ其ノ康福ヲ増進スヘク………謹奉略」。と仰せられ、又同月「朝鮮に下し給へる詔書」には、「朕惟フニ統治ノ大権ニ由リ茲二始テ洽化ヲ朝鮮ニ施クハ朕カ蒼黎ヲ綏撫シ赤子ヲ体?スルノ意ヲ昭示スルヨリ先ナルハナシ。………謹奉略」と仰せられたのであります。

 大正八年八月十九日には「官制改革ノ詔書」を下し給うて、

「朕夙ニ朝鮮ノ康寧ヲ以テ念卜為シ其ノ民衆ヲ愛撫スルコト一視同仁朕カ臣民トシテ秋毫ノ差異アルコトナク各其ノ所ヲ得其ノ生ニ聊シ斉シク休明ノ沢ヲ享ケシメムコトヲ期セリ………謹奉略」と仰せられたのであります。

 昭和四年に斎藤実氏再び朝鮮総督に任ぜられまするや、同年九月六日諭告を発しまして、「前略………一視同仁の聖旨を奉体し益々民力の発達を図り斯民をして永く皇沢に浴し相率ゐて邦家の隆運を扶翊せしめ以て併合の精神を発揚せんことを期す、云々」と申して居ります。

 以上に依つて拝察せられまするやうに、「一視同仁」とは、内地同胞も外地同胞も、等しく帝国憲法治下の国民として、陛下の赤子として何等の区別なく、各々其の所を得しめ安居楽業せしむる状態を意味するものであります。

 第二に、協和事業は、内地に在住する外地同胞を速かに内地の生活に融け込ましむるものであります。

 今日外地と称せられまするのは、朝鮮・台湾・樺太。関東州。南洋群島等であります。これ等の地より内地に来つて居住する者は朝鮮同胞が大多数でありまして、昭和十四年に於て九十数万人を計へ、台湾同胞は僅か八千人位、其の他は極めて少数であります。そこで今日協和事業の対象として外地同胞と申しますのは専ら朝鮮同胞であると見ても差し支へない現状であります。従つて協和事業は是等朝鮮同胞をして内地の生活に融け込ましめやうとするものであると云ふ訳になります。言葉を換ゆれぱ朝鮮同胞に対しまして「郷に入れぱ郷に従ふ」の諺の実践を指導するものであると云ふ事が出来ませう。

 外地阿胞は言語・風俗・習慣を内地人と異にし、又文化程度に於いても多少相違致しますが故に外地には、朝鮮には朝鮮総督、台湾には台湾総督等夫々特別の統治形式を実施し、其の民度の実情等に即し施政されて居るのであります。然るに内地に来住した朝鮮鮮同胞に対しましては、内地人と平等にと云ふ建前からかと思ひますが、従来是れと云つて格別の考慮が払はるゝやうなことがありませんでしたので、人情、風俗、民度を異にする朝鮮問題は自然其の生活上極めて不便不利であったのであります。

 申す迄もなく内地に於て其の生活に聊し、休明の沢を享くるには、外地に於ける従来の言語及び風俗習慣を改め、内地文化になづむ事が必要であります。「郷に入れぱ郷に従へ」の俚言の実践が必要であります.朝鮮に於ても古来「入(イプ)郷(ヒヤン)順俗(シユンソク)」と云ふ諺がありますが、この諺は洋の東西を問はず又古今を通じて、社会生活をたのしくする哲理であると申すことが出来ませう。そこで協和事業はその哲理に従つて内地に於ける外地同胞に対して「郷に入れぱ郷に従ふ」と云ふ諺の実践指導をなすものであると云ふ事が出来ませう。

 次に「速かに」其の内地生活融合の実現を期するものであります。我が国へは過去に於いて高麗・新羅・百済等から多数の帰化人があり、是等の人々は今日におきましては全く其の地に同化し切つて居る事は、関東の高麗村、近畿の百済村、或は九州の下伊集院村等、枚挙に暇なき幾多の実例を有するのでありますが、孰れも其の同化には相当の年月を必要として居る事は史実の示す所であります。今日内地に在住する外地同胞も、何時の日にかは昔日のそれの如く内地に融け込むに相違ないのでありますが、しかし現今の実状を見まするに昔日のそれとは、比較にならぬ程数に於いて多いのでありますから、是の多数の人々の内地化はなりゆきに任したのでは仲々実現は困難であります。又今日の事態は漫然と時代の経過に期して俟つべきではないことは云ふ迄もない所であります。こゝに計画的な又永続的な協和事業が必要とされる理由が存するのであります。即ち協和事業は外地同胞の「速か」なる内地化を目的とするものであります。

 第三に、協和事業は国民偕和の実を収むる事を目的と致して居ります。

 協和事業は、外地の人達の内地融合を図るために、其の多くの努力をこれらの人々の指導教化に傾注するのでてありますが、其の窮極の目的は、外地同胞の指導教化それ自体にとヾまるのではなく、内地に於ける七千万同胞総ての和合一体化に資するといふ点に在るのであります。更に此の協和事案を試金石とし、是を拡大して、一億同胞の一体化に貢献せんとする所に、其の大使命が潜んで居るのであります。内地に於ける七千万人の同胞の中に、異夢同舟の一人があつてもならぬと同様に、一億国民が心を一つにして 天皇陛下の御許に一致協力してこそ、東亜協同体の枢軸たる資格を具へる事が出来るからであります。

 和を以て肇国以来の吾が国是として居ることは前述した所でありますが、遠く過去の時代に於ては、我が国民は他の民族と度々接触する機会を有して居りました為に、自然に大和(たいわ)の精神を体得して居たと云はれて居ります。然るに徳川幕府の鎖国政策の実施以来は、殆んど他の民族と接触する機会が無かつた為に、今日の内地同胞は外地同胞に対する心構への点に於いて、必ずしも遺憾なしとは云ひ得ない現状でありますから、外地同胞に対して諸種の方策を以て是が善導を図ると同様に、内地同胞に対しても充分の方策を講じて、外地同胞に対する心構へを指導し其の育成を図ることが必要であります。かくの如くして国民全般の一致結東の実現を期する事を、協和事業の窮極の目的として居るのであります。

 

    (二)協和事業の方法

    

 次に協和事業は其の目的を達成する為に如何なる方法に依るものであるかと云ひますに、外地の人々を内地生活を基準として指導教化して生活の安定向上を図り尽忠の精神を啓培すると共に、内地の人々の外地の人達に対する理解を啓発して、いはれなき優越感を除去し、双方の信頼を深めて、相愛の情誼を促進すると云ふ方法を探るものであります。

⑴ 第一に、協和事業は、外地の人々を、内地生活を基準として指導教化して、生活の安定向上を図り、尽忠精神を啓培するのであります。即ち内地の物心両面の生活程度を目標として、外地同胞の物質的生活の向上を図り、精神的生活の淳化を期して、

天皇陛下に対する忠義の心を培ひ育てゝ内地生活に融け込む素地を作るのであります。

 但し物心両面の生活と申しましても、一挙に双方を実現する事は至難でありますから、先づ物的方面即ち生活を豊にし言語風俗を改める等形式的な方面の改善に力を用ひ、亜いで心的方面即ち情操を豊にし教養を高め忠君愛国の至情の湧起を図る等、その順序方法に細心の注意を払つて内地同胞の尊敬に値するやうに導くのであります。

 現在内地に在住する朝鮮同胞の中には、大学教授・博士・技師・会社重役等、文化経済の両方面ともに、内地水準を遥かに抜いた人も相当有る事は周知の通りであります。が、其の全体に対する率は甚だ僅少で、昭和十四年末現在在住者九十数万人中二千人余にとゞまり、他は主として筋肉労働に従事する者で教養の低い国語も解しない者が多いのであります.而も是等の人々は集団的に一ケ所に聚落をなして居て内地同胞とは隔離した朝鮮風の生活を営む現状であります。

 元来内地の制度文物は其の程度、内容に於いて外地の現状とは稍其の趣きを異にし、凡て国民敬育の課程を修了した者を前提として組立てられて居ります.例へぱ普通選挙制度とか工場法、鉱業法等の如き文化法規にしても、又は其の他の経済生活、社会生活等の形式内容にしても現代の内地の国民敬育を前提として居るのであります.茲に外地同胞にとつては不利不便であり、又内地同胞にとつては当惑であり、広くは社会不安の因子が潜むのであります.そこで外地同胞の生活の安定向上を図るには、其の前提として先づ外地同胞の内地的な躾けが必要でありますので、協和事業に於ては、成人教育・婦人教育・特に青少年教育即ち次代の成員となる人々の指導教育に重点を置いて居るのであります。

 以上述べるやうに、先づ外地同胞の生活の安定向上と云ふ点を協和を実現する先決の方法と致すのであります。このことは申す迄もない所でありますが人間社会の通弊として文化及び経済程度を著しく異にしては、親和し難い傾向を有するからでありまます。之れを要しまするに協和事業は内外地人間の文化程度や経済生活程度を出来る丈け接近せしむると云ふ方法によりまして、国民的自発を更らに昂揚し、益々尽忠報国の念を啓培して、相互の間の信頼の基礎としようとするものであります。

⑵ 第二の方法として、協和事業は、内地の人々の、外地同胞に対する理解を啓発していはれの無い優越感を棄て去らせて双互の信頼を深め、相愛の情誼の促進に努むるものであります。

 協和事業は内地に在住する外地の人々の内地化を図るのであるが、外地の人達が内地生活に融け込む為に色々と努力を払つたとしても、之を受け入るべき立場に在る内地の人達が其れに相応する心組で接しないとしたならば到底内地同化は出来難いことになりませう。

 夫婦の結合と云ふ個人間の事例に就いて見ましても、先づ双方の理解から出発して愛となり結婚となるのであつて、見も知らぬ人を愛されるものではないのであります。西洋の諺に、「知らぬ人は愛されぬ」といふ事があるが、この間の事情をよく表現してゐるものと云ふぺきでありませう。多数の内地同胞と外地同胞との結合と云ふやうな大事業の完成には、並々ならぬ用意と努ガとが必要であることは当然であります。そこで協和事業では、内地同胞に対して、外地特に朝鮮及び朝鮮人の状況を詳細に紹介して其の理解を進め、更に双方の接近に就いて格別の施設を講ずるのであります。内地の人々の中には自己の見聞したる一二の事例を以つて、直ちに全体を批判し朝鮮人の性情を云々する者もないではありません。併し是も無理からぬ次第で、予め朝鮮の地理・歴史・風俗・習慣等を伝へたり、或は朝鮮人の性情が温順にして、労働に勤勉なことや楽天的なこと等、其の正しい実情を伝へたり、又最近の燃ゆるやうな愛国的熱情の一端である国防献金や。労働奉仕其の他銃後活動の実状を周知せしむる等のことが、従来積極的に行はれなかつたのであります。これが斯様な結果となつて現れた原因の一であると見ることが出来ませう。

 内地人の朝鮮人観は、「識る」と云ふことによつて、必ずや是正さるゝものがあるに相違ないと思ふ。最近、朝鮮へ出かけて、朝鮮の実情を調査研究する人々も漸次増加しつつありますが、是等の人々の感想を承るに「朝鮮の地に新たに二千三百万人の、血盟の同胞を発見した心地がして、従来の観念を一変することが出来、誠に気丈な気がした。」

と申す者が多いのを以てしても、努力の如何に依つては相当の実績を収め得るに、相違ないと思ふのであります。

 この様に「識る」ことによつて、自然に内地人の朝鮮同胞に対する信頼の情が湧き出て、いわれなき優越感は剪除されることになり、愛情の芽ぱえとなることが出来ませう。

 「信頼は信頼を生む」ものであることは人情の常であります。内地の人々の情誼は、朝鮮の人々に其侭相通じて感激となり内地人に対する信頼の情となりませう。朝鮮人の信頼は又、内地人の信頼を生むのであります。協和事業はこの信頼と信頼との、相互誘起を促すことに依つて、融合同化の目的を達成せんとするものであります。

 以上述ぷる所によつて識られますやうに協和事業は頗る重要な仕事でありますが、同時に又非常に困難な事業の一であると云ふことが出来ませう。そこで「速かに、気永に、誠意を以つて」と云ふことを協和三訓として、協和事業開係者の座右の銘として居る次第であります。

 

  (三)協和事業の実施機関

 協和事業は何のやうな機構により、何のやうな機関によって実施せらるゝものであるかと申しますに、大別すれば二つに分つことが出来ます。一は行政機関によるもので、他は民間団体によるものであります。

⑴ 先づ行政機関に就いて申しますに、中央に於いては厚生省社会局が協和事業の主管官庁として専務職員を設けて事業遂行の衝に当り、内務省、文部省、拓務省、朝鮮総督府等が主なる関係官庁として協力して居ります。特に内務省警保局は、協和事業が治安とも関係する所が深いので格別の連繋が保たれて居ります。

 地方では道府県庁が中心となつて専務職員を設け学務部社会課及警察部特高課が緊密な協力の下に、警察署並市町村を指揮して事業の遂行に当つて居ります。

⑵ 次に民間団体としては、事業の特殊性から見て指揮系統が判然とし、又全国的に緊密且つ強力に事業の遂行に当る必要がありますので、民間有力家及び関係官庁の協和事業関係官吏との合作に依りまして、特殊の民間団体として協和会が全国的に設けられて居るのであります。

 中央の機関としては中央協和会が厚生省社会局の内に設けられて、厚生省、内務省、文部省、拓務省並に朝鮮総督府等の大臣、総督其の他聞係官及び内地、朝鮮の第一流の民間人士を顧問又は理事、評議員として組織されて居るのであります。地方に於ては、道府県庁の外郭団体として、四十六の道府県協和会が設けられ知事を会長とし、中央に準じて、官民協力の下に其の機構を形造つて居ります。又其の下部機関として、各警察署を中心として支会を設け、警察署、市町村当局及び民間有力家を幹部とし、其の警察管区を事業区として、事業の実施に当つて居ります。今日では千五十の支会が設けられて居ります。支会は又其の事業遂行の便宜に従ひ、下部組織として分会、或は指導区を設けて居ります。分会は支会に準じて作られた組織ある団体であつて、地域分会と職場分会に分たれ、原則として専任指導員を設くることとなつて居りますが、指導区は指導の便宜の為に一定の地域を区画したもので、専任指導員の指導担当区とするものであります。

 更らに又分会、指導区は数箇の補導班に分つのであります。此の補導班は十世帯乃至二十世帯程度を以て組織し班毎に、其の班中に於て最も徳望と教養ある者を補導員に依嘱するのでありますが、この補導員は名誉職であつて、支会、分会から指令された事項の徹底普及、其の他班内に於ける世話係と云ふ、頗る重要なる職責を負荷されて居ります。

 尚此の外に社会事業施設、教育施設、一般社会教育施設其の他の援助協力に俟たねば、協和事業の目的を達し得ないことは申す迄もない所でありますが、協和事業実地機関としては以上の通りであります。之の施設は全国各道府県何れも同一の組織、同一の名称を以て設けられ、尚其の事業の遂行に当つては、各地共に歩調を揃へて一斉に押進むるのであります。即ち協和事業は、「同一指導方針の下に、同一歩調を以つて」と云ふことを標語と致して居るのであります。

 次に了解の便宜の為に、協和事業機構表を、掲ぐることに致します。