福岡県下在住朝鮮人の動向に就て(世帯調査資料 第二十六號)

発行年:1939年(昭和14年)9月

発行元:司法省調査部

国立国会図書館所蔵

『世態調査資料』は司法省調査部が編集発行していた部外秘の非売品。各地の農業、漁業や産業、商業など、あるいは方言、映画撮影や香具師の実態について幅広く研究調査や聞き取りを行った。昭和13(1938)年から昭和18(1943)年まで発行された。

第26号「福岡県下在住朝鮮人の動向に就て」は文字通り福岡県在住の朝鮮人について、特高関係者や県の教育社会制作関係者、企業家が座談会を行ったもの。当時の福岡県下に於ける朝鮮人の状況や、県、特高関係者といった当局の見方や理解に関して多くの知見を得ることができ、また、大阪など在住朝鮮人が多い他の地域の当局調査や資料と比較することもできる興味深い史料となっている。

 

著作者:
司法省調査部
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福岡県下在住朝鮮人の動向に就て

水田検事正 私から一言御挨拶申上げます。

 各位に於かれましては本日は御多忙の処万障御繰合せ御来会を恭ふ致しまして、主催者側として感謝に堪へない次第であります。

 御来会を願ひました理由は、案内駄状にも認めて置きましたが、当裁判所並検事局に於きまして世態調査の資料蒐集を計画致しまして、先づ手始として当県下在住朝鮮人の動向特に其の稼働者の状況を調査することに致しました。

 之に関しまして極めて豊富な知識と御経験を有せらるゝ各位に於かれましては、何卒之を諒とせられまして、腹蔵なく御高見を御聞かせ下さる様御願申上げる次第であります。

 尚本日此の会の開催に就きましては、県の後藤特高課長には格別の御後援御尽力をして頂きまして、人選其の他に就いて多大の御後援を願つた事に就きまして、衷心から此処に敬意と感謝の念を表する次第で御座います。

 簡単で御座いますが之を以て開会の辞に代へる次第で御座います。

竹内検事 之から座談に移りたいと思ひますが、或る程度順序を立てゝ話を進めて行つた方が■りが良いと考へまして、座談要項を簡単に作つて置きましたから、此の順序によつて話を進めて参りたいと思ひます。

 第一「移動(不生渡来を含む)分布状況並に内地渡航に対する取締方針」此の問題に就きまして取締当局にある県特高課の御意見を先づ承り度いと思ひます。

後藤氏 御示しになりました点に就きまして申上げます。

 朝鮮と本県とは一衣帯水の関係にありまして、交通の便はよく殊に最近の軍需工業の躍進に伴ひ、内地人労働者の払底による結果と致しまして、朝鮮人労働者を求める傾向が非常に多くなつて参りました。之が為朝鮮人来住者は非常に増加して居る傾向であります。

 本県に在住して居りますものは昭和十三年末に六万百五名で、仝国の第五位と云ふ状況であります。昭和十二年末の本県に於ける在住朝鮮人の数は五〇、五六五名でありまして、昭和十三年末の六〇、一〇五名と比べますと一年間に一万と云ふ増加を示して居るのであります。

 そして之等在住者の多くは、北九州の労働都市並に筑豊鉱山地区に居住して居ります。職業の内最も多いのは坑鉱夫、仲仕、沖仲仕であります。そして殆んど全部が下級労働に従事致して居るのでありますが、大体朝鮮人は本質的に移動性を持つて居り、一定の所に永く居住し一定の職業に従事することは少いのであります。私共は不思議に思ふのでありますが、全く経済観念を抜に致しまして、例へば極端な例を取りますと、本県より北海道の方が一日五銭高いと聞きますと、家族を連れて北海道迄も歩いて行くと云ふ様な点が可成りありまして、或は単に労働賃金の高低だけでなく或る山は働きいゝ、或山は働き悪い、或は墜道工事に致しますと危険性が多い、と云ふ様な事を考慮に入れるのであります。斯様に非常によく移動する性質が多いのであります。で現在厚生省を中心に致しまして内務省警保局が協力し、朝鮮人の内地人化と云ふ所謂協和運動を進めて居りますが、之を進めて行く上に、斯様に朝鮮人の移動性の多いと云ふことが非常な障害になつて居るのであります。従つて此の移動性を少くし、定着性を持たせると云ふ事が、最も根本でなければならないと考へて居るのであります。

次に取締方針でありますが、現在の方針と致しましては朝鮮人の一般渡航に対しては、別に取締方針はないのでありますが、朝鮮人労働者に関しては、之は成る可く渡来せしめないと云ふ方針を取つて居るのであります。

此の方針は主として朝鮮人の幸福と云ふ見地から、内地に憧れて参りましても就職口がなかつたりなんかして困る関係から致しまして、確実に職のある場合のみ渡来せしめ度いと云ふ方針であります。即ち、個々の朝鮮人の幸福と云ふ事を中心にして、内地の事悄もよく考慮して取扱つて居るのであります。朝鮮の労働者をどし〳〵内地に入れますと、其の結果と致しまして、古くから朝鮮から内地に来て居る労働者、所謂内地ずれのした労働者の質が段々低下して、そう云ふ者が失業する虞があるのであります。

更に此点に就きまして考慮すべきは、朝鮮に於て労働力が不足して居ると云ふ事であります。

 現在の鮮内、と申しましてもそれは主として北鮮地方でありますが、非常に重工業が発達して参りまして人的資源が不足して居るのであります。

 で如何にして南鮮地方のものを北鮮に移住せしむるかと云ふことを苦慮して居るのであります。労働力の過剰と云ふのでなく、寧ろ不足して居る状態であります。従つて朝鮮総督府当局も彼等が内地に渡来することを喜ばないのであります。処が朝鮮人は北鮮に移住するのを好まない傾向がありまして、内地に渡来したいと云ふ希望が相当多い様であります。

 現在朝鮮人労働者の内地渡航は原則として認めて居りません。ために、所謂密航と云ふものが非常に増加して参つて居るのであります。

 本県に於きましても、毎月二百名内外の密航者を掴まへて、勿体ない様でありますが之を送還する為、一人当り二円とか三円とかと云ふ旅費を使つて送還して居る状況であります。県内に労働力の不足して居るのに勿体ない事ですが、今日では已むを得ない事であります

 夫れから之は相当考慮しなければならない問題でありますが、密航して来る朝鮮人は密航するに際して、大抵最低三十円乃至四十円位の金を密航ブローカーに渡すそうであります。其の金を作る為に自分の家、屋敷、田畑其他を売つて裸一貫になつて内地に密航して来るのであります。それが掴まつて朝鮮に帰されるのであります。而も其の朝鮮に帰されるものは、帰つて家田畑を皆売払つて居る為め、本当の裸一貫になるのであります。之は朝鮮統治の問題から見て可成り大きな問題だと考へるのであります。密航と云ふ事自体が、犯罪として取扱ふ事の出来ない結果、又密航ブローカーを厳重に処分する法規がない為、私共の活動其他朝鮮当局の取締あるに不拘其の数なり活動が一向に減じて居ないのであります。

水田検事正 分布の状況に就いて具体的に数字によつて御示し願へれば結構と思ひます。例へば折尾方面は何人、八幡方面は何人と云ふ様に。

河野氏 県下の事を申し上げます。先づ東の方から参りますと、

    門司       五、六五二人

    小倉       四、一四五人

    八幡       八、九三六人

    戸畑       四、○六〇人

    若松       三、三八五人

    若松水上       一〇一人

    門司水上        一二人

    折尾       三、四四五人

    東郷       一、〇一一人

 筑豊に参りまして、

    直方       五、八八四人

    飯塚       八、五二八人

    後藤寺      二、二七六人

    行橋         八五一人

    大隈       一、〇四七人

  其の他、

    箱崎       一、七一〇人

    福岡       三、五五一人

    西新         七八一人

    久留米        九七〇人

    大牟田        五五六人

 其の他は百名乃至二百名程度であります。之を順序から申しますと、八幡、飯塚の八千名以上、夫れから直方、門司、小倉、戸畑、折尾、若松、福岡と云ふ様な順序で、千名以上の処が十三ヶ所であります。之は警察署の所轄区域によつたものであります。

吉積氏 男女子供迄の合計ですか?

河野氏 そうです。総人口です。

水田検事正 八幡の木戸さんに御願ひします。

 八幡が一等多い様でありますが、現在より以上に尚収容力があるかどうかの此の点に就ての御考を御話願ひたいと思ひます。

木戸氏 実は八幡に居て斯う云ふ仕事をして居りますから、先づ其の辺の事は承知して居る筈でありますが、拝命致しまして日尚浅く、此の四月を迎へて二年になります。殊に又関係して居ります範囲が狭いから詳しく存じて居りませんが、何れの状況を聞きましても未だ相当に労働者を欲して居る様な模様であります。

水田検事正 八幡方面の在住鮮人の気持として、其の取締りに抱擁されて居る鮮人の質がどう云ふ程度であるか、其の辺の事柄を御願ひします。取締と在住鮮人の素質との関係ですね。取締が適正を得て居て、質が良いか、或は未だ取締つて貰いたいとかの御感想を伺ひたいと思ひます。

木戸氏 概括的に申しますと、最近は非常に良い傾向に向つて居る様に承つて居ります。又大して困ると云ふ者はそうない様に観察して居ります。

水田検事正 同様の問題の下に若松、門司方面の御意見を承りたいと思ひます。飯塚の大森さん如何ですか?

大森氏 今日の懇談会の御趣旨が未だ充分飲み込めずに居りましたが、只今の御趣旨の話を承りましてよく解りました。

 話は自然司法省の問題と、私共事業の立場を考へて居りますものとの間にはたぶん御質問の的を外れるかと思ひますが、始めに御諒解を得て置きたいと思ひます。私、個人問題から云つても、事業関係から云つても多少鮮人に関係して居りますが、貧弱な経験であります。之等をどう指導して行くかと云ふことを、産業の方面から相当苦心して居りますので、其の方面だけしか申上げられません、又少しく数字の統計も持つて来て居りますが、特に今日は公開の席上ではありますし、又後でプリントにして出される相でありますので、此の意見の発表は差控へたいと思ひます。

 個人として御話を御聞き願へる事があれば御話し致します。只結論としては、現在どうして行くかと云ふことに就いて差支へない範囲に就いて申上げたいと思ひます。

 今八幡の御方の御話がありましたが私の方では全く反対の見方を持つて居ります。

 今居ります者の中に独身者が三割五分あります。之が非常に移動性を持つて居ります。家族持ちも移動性は多分にありますが、独身者の方がより以上に之が多いのであります。

 一ヶ月未満に三〇%位は移動する標準になつて居ります。二ヶ月に六〇%乃至七〇%位移動するのですが、一番問題は今の不艮質のものが長く停滞して居るから、今居る良い者が自然悪い方面に感化されて行くのであります。結局筑豊の嘉穂郡には三千人余の者が労働して居りますが、其の内の約四割と云ふのが移動性があるのであります。先刻の話の様に良いものを入れて悪いものを送還する、之は作業の立場から考へて見まして、素質の良いものを入れると云ふ良い意味で取締りをされることは絶対に出来んことはありませんが、非常に困難な問題で、之が根本的な問題でありますが、之を姑息な方法でもつて本当に内地同化が出来るだらうか、種々な施設手段を講じて居られますが、之は当然国家施設として充分な内鮮融和と云ふことを取計らつて然るべきだと思ひます。現在のものは姑息的一峙的な方法丈けで行くと云ふ機構になつて居ります。

 之は本日の御説明になつた御趣旨から見ましても、根本的に考へ直す必要があると思ひます。今地方の実情から見ますと非常に宜しくない、益々悪くなりつゝある許りであつて、今の侭で行つたら一層悪くなると云ふ事が考へられるのであります。

水田検事正 大牟田を中心として西の方に少い様に思ひますが。

河野氏 大牟田市は炭坑を中心とした都市でありますが、三井系統の工場鉱山では使つて居りません。其の為に大牟田は、商人であるとか土工と云つた程度のものであります。

 久留米市も軽工業が中心で、土方坑夫と云ふ職業は少いのであります。其他の地方も農業労働者でありまして、農業の補助的役割を果して居る程度で、職業の関係から少くなつて居ります。

後藤氏 内地渡航に対する取締が厳重である結果として、質が良くなかつたかどうかと云ふ問題の様でありますが、内地渡航に対する取締は、朝鮮人の質と云ふ問題に就ては朝鮮当局で思想的或は衛生的な点に就いて一層調査を致しまして、良いと思つたならば夫れを内地の警察に照会して来る訳であります。

 之が纏ると無条件で入れるし、内地の警察で照会を受けた時は之等労働者を入れる入れないの問題を決する丈けでありまして、質が良い悪いと云ふことは全然加味して居ないのであります。

 麻生さんの方から悪い鮮人は送還したらと云ふ御意見の様でありますが、此の問題に就いては朝鮮当局からも厳重な抗議が来て居ります。内地も朝鮮も同じ日本である以上、同じ日本に帰すことになるのでありますから成る可く原則として送還しないのであります。送還しても只外の管内に追払ふ丈けでありまして、警察当局としては極めて無責任の処置でありますから、差控へるべきであります。

竹内検事 それでは次に第二「稼働状況、職業別、失業者の有無、賃銀収入」等に就いて御願ひ致します。

向防氏 私は一般鮮人に就ては未だ研究して居りませんが、農業、農会関係から見た方面を申上げますと、鮮人の移動性の多いと云ふことは特高課長の御話の通りであります。只内地渡航について非常に取締りが厳重な為に、種々の悪影響があると云ふことは若干認めて居ります。特に私の地方は事変以後農業労働者が不足致して居りますので、何とかして鮮人を同化して立派な労働者にしたいと云ふ見地からして、其の施設として昭和七年に農会の方で朝鮮総督府に御協議して多数の鮮人を入れて労働に従事さして居りますが、どうも移動性が多いと云ふ事と、夫れから連中が話合つて賃銀値上の要求をしたり其の他色々のことがあつたのであります。其の一例を申しますと、僅かの賃銀の問題から雇主の処に放火した事があるのであります。そこで何とか良い方法はないかと云  ふ事を、我々農会の方で種々研究した結果どうしても、各方面に加勢して貰はなければ仕事が出来ないと云ふ事で、総督府の方に御願ひして先づ、二年乃至三年と期間を切つて、朝鮮の農業は遅れて居りますので、内地の進んだ農業を見習はせると云ふことで、朝鮮の地方の将来の中堅となる鮮人を選抜して、其の鮮人を篤農家に話し、種々の条件を加へて優遇の方法なり教化なりを考へ、毎年選抜して貰つて七、八、九、十年と段々続けたのであります。それが一時此の関係が難しくなり、朝鮮人を人れることが出来ず、一時中止して居たのですが、事変勃発と共に労働力が不足して参つたので、一昨年冬から元に復活して昨年は一一六名を入れたのであります。

 結果は非常に良いと申さなければならないのでありますが、色々の欠陥があり、弱点があり、半数位は帰るとか、或は他の方に行くと云ふ状熊であります。が何れにして特殊事情のあるものは、内地渡航を許して貰つた方が良いのじやないかと考へるのであります。

 我々と致しましては、特殊事情のあるものは雇主で責任を持つてやるから、渡航を許して貰つたら融和上又労働力の不足して居る今日に於ては、其の方が良いのじやないかと考へるのであります。一般のものも入れると云ふ事はどうかと思ひますが、特殊事情のあるものは入れて貰つた方が良いと思ひます。

羽田野氏 私は直方の大ノ浦のものでありますが、私の方の炭坑の一部に露天作業をやつて居ります。それは鞍手郡笠松村で、戸数は二九九戸、鮮人千人以上居ります。

 私の方で鮮人を使ひますことにつきましては、古い歴史を持つて居ります。

 最初労働力の開係から、鮮人は坑内労働には向かないが坑外笏働労働には向いて居ると云ふ事で、露天探掘に鮮人を採用する方針を取りまして、大正十二、三年頃から引続いて鮮人のみを使つて居るのであります。

 即ち鮮人村が出来て居る訳であります。其の一角には鮮人以外の内地人と云ふものは、単に指導的立場にあるものゝみでありまして、他は全部鮮人であります。

 最初の鮮人指導者に非常に優良な人を得ました為めに成績が非常に挙りまして、漸次内地化して参り、尚又所長もよく理解して頂き、非常に良い成績を挙げて参つたのであります。

 そして昭和二年頃に丁度所長が炭坑を辞めましたが、其の時には恰も親に別れると云ふ様な気持で一同は感謝の念を持ち、自分等の私財四、五千円を投じて彰徳碑を建てたのであります。

 其の後炭界の不況により其の場所を一時中止する状態が起つたのでありますが、何等不平不満を言はず、夫れのみか其の場所に対する報恩碑と云ふものを建てるのに、私財二千円を投じてやつたのであります。其の後炭界が好景気になつて、再び其の場所を開いたのでありますが、現在沢山のものが入つて来て居ります。

 久しい間鮮人を使つて来た関係上、其の山の七割は土着鮮人で傍には移動しないと云ふ状態になつて居ります。そして夫等のものが殆んど内地化致しまして、現在では内地人と余り変らない生活をして居る状態であります。

 最近参りますものは移動性が多い様で、一ヶ月足らずで盛に移動して居りますが、先程から申しました七割位の優良鮮人が居ります為に悪い事は致しません、けれ共稼働率の変化と云ふ事は、どうも現実に現はれて参つて居るのであります。

水田検事正 今の処は何処ですか。

羽田野氏 鞍手郡笠松村大字四郎丸の地内であります。

水田検事正 では県下の稼働状況を、一般的、概括的でいゝですから御説明願ひたいと思ひます。

後藤氏 稼働状況でありますが、一般的に見まして内地人に比較して、勤労奉仕と云ふ観念が欠けて居りまして、作業能率が非常に悪いのであります。

 大体之は朝鮮に於ける昔の長い間の圧制政の結果だと聞き及んで居るのでありますが、朝鮮人が少しでも金を貯めると政府に取上げると云ふ圧制政が続いた結果、一日働いて三日食へるだけの収入があれば後二日は遊んで暮すと云ふ様な風習が多いのであります。そう云ふ結果かどうか知りませんが、殊に軍需景気の為賃銀が上つた結果が却つて稼働状況が悪くなつてゐる様であります。一番悪い例は門司、若松等の沖仲仕であります。

 即ち港では、船が入りますと直ぐ荷揚げしなければならず、非常に急ぐものですから其の足下を見透し、五円呉れとか十円呉れとか云つて働かないのであります。仕方がないので之をやりますと、金が入つたと云ふので当分は働かないと云ふ拙い結果が生じてゐるのであります。此の稼働率を上げると云ふ事は大きな問題であります。

  今社会が主となり、私共も協力して、協和事業を進めて居るのでありますが、之を中心として勤労奉仕の精神を養成する、そして稼働率を上げると云ふ風に、協和事業を進めて行く事が必要と思ひます。

  職業別を申しますと、一番多いのは坑夫で七千八百名、次が仲仕で三千五百七十名、土工夫が三千百名、農業労働者が二千八百名で之が主なものであります。其他屑物の売買をなす古物商、其他雑品の売買をするものが約三千名位居ります。で調査の結果では失業者は五、六十名位ある事になつて居りますが、之等は不具廃疾者或は怠け者でありまして、純然たる意味の失業者はないと思ひます。

 賃銀でありますが、坑夫の月収最高百三十円、日収五円、最低が月収八十円、日収二円五十銭で、仲仕は最高月収百二十円、日収四円、最低月収六十円日収二円、自由労働者の最高月収百円、日収三円五十銭、最低月収四十五円日収一円五十銭であります。

 此の計算は一ケ月全部働いた場合の計算でありまして、坑夫或は自由労働者の仕事は過激な仕事が多いのでありますから、一ケ月完全に働く事は困難であり、月収と云ふことは当にはならないと思ひます。

 内地人に比較して幾分安い処はあるかもしれませんが……。大体同様であります。

 一般的に見て農業労働者の賃銀は低い様でありままして、食べさして貰つて月に十五円位の収入の様であります。

 先程遠賀郡の御方から農業労働者を入れて欲しいと云ふ御話の様でありましたが、斯ふ云ふ風に殷賑産業との間に賃銀の開きがある為、農業労働者として入れて居つても抜け出して他の産業に代るのでありまして、事実上農業生産力の拡充に使ふことは先づ不可能じやないかと思ふのであります。遠賀方面の百姓が、農業をしても儲からぬと云ふので、自分は軍需工業方面に出て働き、自宅の農業には鮮人を採用したいと云ふのは、結局は自分が美味い汁を吸ふ為めの様に考へられるのであります。従つて農業労働者に定着性を持たせると云ふことは非常に困難と思ひます。

木戸氏 私の聞き及んで居りまます範囲では大変よく働いて居る様でありますが、尚此の上にも人を要すると云ふことを聞いて居ります。

山内氏 只今御話がありました様に、或一部分の人は良く働くものもあるかも知れませんが、総括しては大体に於て怠惰であらうと思つて居ります。

 八幡の労働状態を申上げますと、八幡に一万名近くの鮮人が居りますが、其の内製鉄所関係に五千名余の稼働者が居る訳であります。其の内私の方に二千六百名近くを抱擁して居ります。

 其の他の人は製鉄所以外の会社の労働者として約千五百名、其の他の工場職工として六百名、其他と云ふ分布状態であります。

 私の開係のものに付て申上げますと、最高は日給五円位、最低は一円六、七十銭を取つて居ります。之を平均致しますと、日収が約二円になります。又其の日収たるや先程特高課長の御話の様に、一月の稼働賃銀を稼働した日数で割つた賃銀でありまして、純粋の意味での月収を正確に申し上げると云ふことは出来ないのであります。

 之はどう云ふ処からそうなるかと申しますと、労働者の指揮統制が充分取れて居ないことゝ、資本主から見ますと、自由主義、資本主義的社会の欠点にも依りませう。又労働者も怠惰であります。弁当箱を枕元に置いて、賃銀はいくら呉れるか五円呉れなければ働かない、と云つて寝てゐる様な状熊であります。

 そして其の日に十円取りますと残りは遊んで食ふのでありまして、その事が鮮人仲間に伝つて悪い風習が出来ると云ふ状況であります。

 稼働状況も非常に悪いのでありまして、良く働く人で一ケ月二十四、五日位、悪い人になりますと一ケ月四、五日働く丈けと云ふ状態で、平均致しますと一ケ月十四、五日から二十日位で、一日の日収二円として月収三十円乃至四十円と云ふ有様です。

 之は色々の事情からそう云ふ風になつて来ると思ひますが、之は労働者の方も、取締る方も、或は資本家の方も、或る程度御考へになつて相当統制ある処置をおとりになつた方が、お互の為にいゝのじやないかと考へて居るのであります。

水田検事正 最高五円と云ふことですが、それだけの収入のあるのはどう云ふ仕事に従事して居る人ですか?

山内氏 夫れは棒方と申します仲仕であります。

 船揚げの荷役等に従事するものであります。

 斯様に荷揚人足の内に高給を取るものがあるのでありますが、之は本当の労働賃金ではないのであります。

 そう云ふ風で至急の仕事をしなければならないと云ふ足下を見透かして、不当の要求をする訳であります。

水田検事正 技術的な仕事により、定収として高額をとるものがありますか?

山内氏 そう云ふものは居ない様であります。

 労力的に棒方等をするときは内地人は及ばないのであります。大抵荷役する人は二百斤位のものを担いで一尺余りの「歩み板」の上を走つて行くと云ふ様な状況であります。

水田検事正 そうすると労働者階級に於ては内地人と朝鮮人との間に貨銀の高下はありませんか?

山内氏 大体に於てそう云ふことはありません。仕事の差はありますが人種別の差はして居りません。

水田検事正 吉積さんに御願ひ致します。

吉積氏 私は古物商組合の会長を五、六年やつて居りますが、鮮人は非常に良い成績を挙げて居ります。と云ふのは今の時勢が廃物を回収しなければならないと云ふ事からして、回収致しますと利益があがるし一方軍需の方面にも都合が良いと云ふことで仲々良く働きます。

尤も警察署長さんが根本的に調査されて、極く成績の良いものでなければ古物商の観察を下付しないと云ふことになつて居ります。

 又鑑札下付の願出があると、私の処に相談的にこの人に鑑札を下付しようと思ふが良いか、と云ふ様な御話があるのであります。其の時など私の方では調査しますと、其の人の良い悪いが直ぐ判るのであります。

 二、三年前迄はそう云ふ事にしては居りませんでしたが、糸島古物商組合は腕章を着けさせる。そして堂々と買ひにやると云ふことにして居ります。尤も無鑑札の人も多少ありますが、其のものは御互が取締らなければならない、自分の範囲内を荒される形になると云つて聞かせます。其の結果随分良い方に傾いて居るのであります。従つて犯罪なんかも今日まで大したものはない様であります。時々斯う云ふ事があります。それは度量衡の違反をやりはせぬかと云ふ事であります。其処で一寸話合の結果「ボロ」を他にやつて夫れを買はせて見るのであります。そして度量衡の不正を試して見るのでありますが、其の時違反した場合は厳重に説諭すると云ふ事

 未だ嘗つて犯罪を起した者はない様であります。

 腕章をつけると云ふことは、糸島は三年前からやつて居りますが、福岡市も近々腕章を付けさせると云ふことになつて居る相であります。

水田検事正 年々朝鮮人の古物商が殖へて居りますが、日本人の古物商との間に融和を欠くとか、或は蔑視反目すると云ふ様な傾向はありませんか?

吉積氏 夫れはないとも言へませんが、表面に現はれる事はないと思ひます。

水田検事正 世間一般で朝鮮人の古物商を歓迎するといつた様な風習はありませんか?

吉積氏 無い様であります。でもヒヨツトすると度量衡違反はやりはせんか、掻払ひをやりはせんかと杞憂はある様でありますが……。

水田検事正 内地の人はこんな「ボロ」を内地人の「ボロ買」に売つては恥づかしいと云ふことで鮮人に売ると云ふ傾向はありませんか?

吉積氏 以前はそう云ふ事があつたかも知れませんが、今日では廃品の回収と云ふことが認識されまして、そう云ふ点はない様であります。

水田検事正 そうなると大体に於て鮮人の屑物買は成功してゐる訳ですね。

吉積氏 私の処では一万円内外の貯蓄をしてゐる鮮人もあります

水田検事正 では転業も少い訳ですね。

 次に向防さんにお願ひします。百姓の稼働状況は如何ですか。

向防氏 賃銀が安いと云ふことも一つの問題になつて居りますが、他の殷賑産業の様にドシ〳〵賃銀を上げることは出来ませんから……賃金の安いと云ふことが稼働の状況に非常に影響して居るが大体に於て長らく来て居て熟農して居ります鮮人は非常に良く働く様であります。どんな仕事も厭はずやりますし大変宜しいのであります。然し他の工場が賃銀が高い為に其の方に転出するものも可成りあります。

農会で斡旋して居りますものは二年三年と条件を附して居ります関係上、給料でなく報酬と云ふことにして居ります。又渡航する時も「他の労働者と違ふのだ。内地の農業を覚へて朝鮮に帰つて朝鮮の農業を開発せなければならないのだ」と云ふことを云つて聞かせて居ります。

来た当時は私共は報酬は要りませんと云ふ様なことを云つて居りますが、段々月日が経つて来ますと、矢張り金の問題になつて来ます。即ち報酬を上げて呉れなければ出るとか、何とか色々の口実を作つて他に転ずるものがあるのであります。

働く者は仲々良く働くのでありまして、内地の農業者は仲々人糞の汲取り等はやりませんが、彼等は進んで行くのであります。其の点は平気です。そして馬車一台について二円乃至三円と汲取料金を貰ひますし、又之を農家に配つて若干の報酬を貰ふと云ふ状態でありますから、下肥とりには進んで行くのであります。結局金の儲かる方と云ふのですね。で下肥汲取り専従の鮮人が居るのであります。

水田検事正 賃銀はどう云ふ様にしておりますか?

向防氏 一ヶ年食はせていくらと云ふことにして居ります。

水田検事正 其の報酬は内地人を傭ふときの報酬と違ひますか?

向防氏 殆んど家の子供を農業向に育てる様にしてやつて居ります。で金に見積もりましても決して内地人よも安くはないと思ひます。

水田検事正 産業セメントの岩代さんに御願ひ致します。

岩代氏 私の方の会社は鮮人の従業員を三百五十人許り使つて居りますが、家族の総計は六百五十名許り居ります。其の鮮人労働者は主として原始的労働に従事して居ります。即ち採石原石の運搬に使用して居りまして、智能的労働には使用して居りません。そう云ふ仕事は不適当の様であります。

 採石運搬等と云へば強力な労働でしかも屋外労働でありますから、耐暑、耐寒、それから雨等にも堪へなければならないのでありますが、内地の労働者に比較してそう云ふ方面は非常に良い様であります。

 体力も強いし重いものゝ運搬等内地人は及びません。それから収得は大体内地人も鮮人も殆んどそう云ふ方面の労働は工程払即ち稼働高払ひになつて居ります。そう云ふ関係で非常に良く働きまして、最高の収得は男五円二十銭、最低一円六十銭位であります。平均二円六十銭位になつて居る状態であります。女は此の約六割と見て艮いと思ひます。特に夫婦共稼ぎを歓迎して居ります関係上、月収は相当取つて居り、工程払の関係で出動率も宜しいのであります。熟練したものは可成りの金を貯めて居ります。

水田検事正 稼働の熱意はどうですか?

岩代氏 夫れは人間に依りますが主として内地に来て間もない、或は農村其の他の田舎の地方で労働して居つたものとか或は一つの事業経営内に於て、そう云ふ工程払と云ふ様な労働に従事して居つたものは非常に良い様であります。

 其の反面に自由的労働に従事して居つた様なもの、或は都会から転入して来たものは非常に勤労思想が少い様であります。

 従つてそう云ふ連中は勤労的な者に負けて出て行く訳であります。

 そうして二年、三年と居ります内に、相当の金を貯めます。三年位で八百円、千円位の金を持つて居るものもあります。 

 移動性のある労働者が、口は立ち種々理窟は云つて居りますが、非常に悪い事を教へて居る様であるのであります。

 要するに労働成績は原石探掘で、鮮人労働が半数以上を占めて居りまして成績は非常に挙つて居ります。

竹内検事 夫れでは第三、「生活、資産状況、住居、服装、習慣、貯蓄の問題等」に就て御願ひ致します。

水田検事正 社会事業協会の方から御願ひします。

進藤氏 私は未だ此の事業に従事致しまして極めて年月が浅く、申上げることが果して当つて居るかどうか多少疑念があるのでありますが、概念的な事だけなら申上げられると思ひます。

 「生活」は極めて低級な生活をして居ります。

 「資産」に関する事は申し上げる認識を持ちません。

 「住居」は至つて粗末であります。只此の住居について私共の考へますことは、概して都市に於ては密住して居り、田舎に於ては分散的生活をして居ります。密住して居るか分散して生活して居るかと云ふことは、次に来る内地同化の問題に非常に大きな関係を持つて居る様であります。之については只関係があると云ふことを申上げて置きたいと思ひます。

 其の次の「服装」でありますが、男子の方はまあ内地人と同一の服装で洋服を着て居るものが大部分であります。矯風会の発会式等て田舎に參りますと男子ば洋服を着たものが大部文でありますが、中には袖のついた所謂和服を着て居るものもあり、其の着こなしなんか西洋人が和服を着て居るのと違ひ大変上手の様に認めるのであります。

それから女子は概して朝鮮其の侭の服装が多い様であります。之を都市と田舎と分けて考へますと、都市の方は殆んど朝鮮服其の侭を着て居る状況が見受けられますけれども、田舎の方は其の点内地化して居る点が見受られるのであります。昨日柳河に行つたのでありますが六十人許りの内女が十三人来て居りましたが悉く和服を着て居りました。連れて来て居る子供にも内地の着物を着せて居りました。斯う云ふことは都市に於ては全然見受けられません。

尚此の事に就てでありますが、女子の服装改善と云ふことは非常に困難の事でありまして服装以外に困難のことかあるのじやないかと思ひます。夫れは家庭に於ける朝鮮婦人の座り方があぐらをかいた様な座り方でありまして、其の為に日本の婦人服が改正されない限り不適当なものと思ひます。

従つて又内地の婦人服を着て居るものは、家庭に於ける座り方から改善して居るのじやないかとも考へられるのであります。服装の改善については現在国民服と云ふものゝ問題がある様であります。其の国民服の制定と云ふことは、内地在住朝鮮人の服装改善に大切な事でなければなりません。日本の服装には長所があると共に短所があるのであります。日本の婦人服は、普段の着物はそうでなくとも労働服は何等かの形式によつて改善されなければならない運命にあると思ひます。

近く内地服其のものが改善されたならば、其の改善された標準服装に向つて内地人も朝鮮人も夫れに従つて行くと云ふことが大切じやないかと思ひます。

其の次の「習慣」でありますが之が全く困つたものでありまして、此の打破が出来ますならば生活改善、内地同化等は極めて易々たるものと思ふのであります。長い問の習慣でありますから之を打破すると云ふことは非常に困難であると思ひます。

夜間学校の指導の任に当つて居る人から聞いたのでありますが、内地人は他家に行つて上る時履物又は靴は向ふ向けて上ることが礼儀とされて居る様であります。之を其の侭内地の作法だと云つて朝鮮の人に進めるとどうもそれはいかんと云ふのであります。

段々調査致しました結果、朝鮮に於ては上るとき履物が向ふ向いて居ると不吉な事だ、人が死んだ時そうするのだと云ふことであります。

斯様に内地人の生活と朝鮮人の生活には習慣的に非常な相違があるのであります。

併し乍ら内地に来た以上は、内地の習慣を習ふと云ふことでなければ本当の内地人との一心同体の生活は出来ないからと云つて極力進めて居るのであります、けれども此の辺非常な困難が伴つて居るのであります。

「貯蓄」の問題でありますが、之は勤労に対する正しい認識、正しい心構へがありません為に大した貯蓄心はない様であります。中には古物商をして何十万と云ふ金を持つて朝鮮に帰つたものもあるにはありますが之は特例です。

吉積氏 服装改善の事に就てでありますが、朝鮮の婦人は内地人の着物を着たいそうでありますが、裁縫が出来ぬものですから即ちつくれないものですから着ないそうであります。

水田検事正 朝鮮の婦人は全部立膝をやる訳ですね。

進藤氏 そうです。従つて歩き方等も両足を外側に向けて歩くのです。

水田検事正 特殊の財を為して居ると云ふ様な事実を御承知の方はありませんか?

木戸氏 資産状態に就て一、二の例を申上げます。

 協和館の内に六家族の鮮人が居ります。

 其の内の一人は製鉄所の職工を十六、七年やつて居りますが、家族は五人暮しであり乍ら大変よく貯蓄を致しまして、又時々郷里の方に土地を買入れて居り、約三百町歩持つて居ると云ふことを其の人の従兄の人が申して居りました。

水田検事正 姓名は御存じですか?

木戸氏 金正泰と云ふ男であります。

 幾分借金を持つて居ると申しますが、夫れも土地を買ふ為の僣金らしいのです。

 夫れから人参エキスをやる仕事をして居るものがありますが、夫れは来るときは見すぼらしい姿だつたそうでありますが、今五万円以上の金を貯へて居るであらうと云う話であります。

進藤氏 福島にも何でも二十万円とか三十万円とか金を貯めて帰つたものがあると云ふ話も聞いて居ります。

河野氏 鮮人の住宅問題は非常に大きな問題として五、六年前迄は極めて重要視されて居つたのでありますが、最近鮮人の生活状態の好転するにつれて幾分愁眉を開くことが出来る様になつた様であります。

 鮮人で自分の住家を持つて居るものほ殆んどないと云つていゝ位で、大部分は借家に入つて居るのであります。借家に入る時など家主は鮮人と云へば頭から問題にせず、如何に徳望のある人でも鮮人と云ふ丈で一言の下にはねつけらるゝのだそうであります。

 で内地の人に頼んで家を借りて貰ひ、入つて居る様であります。そうした関係から借入れの手段其のものから借家争議が起るのであります。

 次に小さい家賃十円位の家に三家族も四家族も入るし、家主には何等の応答もしない為に家主には嫌はれる。家主に嫌はれる丈でなく近所近辺に迷惑を掛ける。品物が無くなる。衛生状態が悪くなる、其の結果家賃が下ると云つた様な状態であつたのでありますが、最近は非常に良くなつてそう云ふ傾向が少くなつた様であります。

 警察と致しましても大きな問題で、家族を鮮内から呼寄せるとき或程度家を借りる自信があるかどうか、或は家を借りて家族を扶養して行く丈の収入があるかどうかと云ふことを考慮に入れて居るのであります。

水田検事正 進藤さん、朝鮮人の密住と云ひますか、同居と云ふことを非常に好む様ですね。今の河野君の話の様に一つ家にどし〳〵集まると云ふのほどうした訳ですか。

進藤氏 他郷に出て来て居るからで人間の自然性でせう。

河野氏 借る家がないからだと思います。

木戸氏 一つには内地人の生活の中に入つて暮すことを嫌ふ傾向があります。

 私の方には六家族居りますが、其の内他の処に出て行つて貰はなければならない事になり、そう云ひますと、内地人に接触しなければならないのを嫌ひ、何処の隅にでもよいから置いて呉れと云ふのであります。

大森氏 居住の問題についてでありますが、どうも内地人の常識で判断致しますと今仰言つた様な事になりますが、其の生活の中に入つて行つて見ますと我々の感じて居る様な同居生活を嫌がらぬ、不思議がらぬ雑居を好むと云つた傾向があるのであります。

 即ち雑居する、同居すると云ふことほ自然の習慣であると思ひます。我々の不思議であることも、鮮人等には不思議でないのであります。

吉田判事 暦は旧暦ですか、新暦ですか?

木戸氏 旧暦が本当らしいです。

竹内検事 夫れでは午前中は之丈に致しまして後は午後に致します。

                   (午後零時三十分休憩 午後二時二十分

竹内検事 それでは午前に引続きまして座談会を開きたいと思ひます。

水田検事正 鮮人を傭つて居る傭主側に於て彼等に提供する住居に就て、相当彼等の気性に適する様にしてやうと云ふ様な気運或はそう云ふことを実行されて居る様な向はないでせうか、例へば、オンドル式の住宅は彼等の希望する処であるとすれば、さうした設備をしてやると云ふ様なことでありますが……。

大森氏 鮮人に就て一番問題は住居でありますが、従来は――現在も或はそうでありますが、事業所としても決して満足ではありません。之は将来大いに考へて貰はねばならぬことでありますが、近く県の合宿令に依つて改造されることになつたのでありますが、私の方も本年六月迄にはなるべく住居の改善をやり度いと思つて居ります。併し現在では資材不足と大工、左官の不足などの為遅れて居りますが、少く共本年中には住宅の改造をやります。そう致しますと結局一部独身者は合宿になります。其の他家族持は昔の長屋が社宅に変わることになるのであります。二室位になります。結局事業所としても此処一年以内には全部改造が出来るのであります。

水田検事正 鮮人の趣向に合ふ様に、例へば鮮人独特の立膝をしてもいい様にオンドル式にすると云ふ様な設備でありますが……

大森氏 そのオンドルを取り入れるかどうかと云ふことに就て考へたのでありますが、朝鮮の温度で始めてオンドルが必要になつて来たのでありますが、内地に於てはそんな必要が殆んどない様であります。内地でオンドルを造つて置くと夏が仕方がないのです。あれは御承知の様に土間にするのですから梅雨時から夏にかけて内地の気候では非常に困るのです。朝鮮では夏も一回か二回あれに火を入れて乾燥させます。内地では冬はいゝでせうが夏がドロ〳〵になります。又内地では冬でも零下一、二度と云ふのは年に何度かしかありません。尚朝鮮人としても畳の上と土の上では矢張畳の上を好む様です。

水田検事正 鮮人の考へはどうでせうか、オンドルと畳の上はどちらを好むでせうか。

大森氏 食事の時は板張りでやつても矢張寝る時は畳の上に寝る様です。

羽田野氏 私の処は全部改造したのでありますが矢張り古い建物より新しいものを好みます。綺麗にしてやればそれを好む様に思はれます。

後藤氏 県の方針としては、朝鮮人独特の趣向に合ふ様なやり方はやらせないと云ふ様な方針で行き度いと思つて居ります。

進藤氏 オンドル生活と云ふ様なものが、朝鮮人をして今日の様に堕落せしめた一つの大きい原因ではないかと思ひますね。

水田検事正 朝絆人をして同化乃至は追随せしむる方法の一つとして、食物の問題などに就て考慮する必要がありはせぬかと思ひますね。彼等の希望する様な食物を選択して早く同化せしむると云ふ様なやり方、さう云う考へ方は如何でせうか例へば大蒜の様なものは彼等が好んで食する様でありますが……

後藤氏 県の方針としては、矢張りさういふこともやめさせて内地人同様にやらせ度いと云ふ気持で居ります。

吉積氏 処が朝鮮人としては大蒜などは一種の薬として食つて居る様であります。大蒜をやめよと云ふことは、極端に云へば病人に薬をやめよと云ふことになりはせぬでせうか?

大森氏 向ふは非常な租食です。私の行つて居りました処は江原道の金剛山の下の処です。行きました当時は驚いたのですが粟食です。それも粟だけです。米は少しもない。それに赤い胡椒と味噌が副食物です。刺戟がなければ食欲がつかぬ訳です。従つて栄養物がないから大蒜などに依つてそれを補つて行かねばなりません。粗食をする為に止むを得ずあゝ云ふ結果になつたのじやないかと思ひます。又大根なども山の中に出来る小さいので味も何もない少しも甘くないものです。之に大蒜などを入れて味をつける訳です。

後藤氏 今大蒜を止めさせることは無理ではないかと云ふ御話でありましたが、無理と云ふことが分り切つて居るのです。けれ共彼等が大蒜を食ふ為に嫌はれるとすれば、内地人が一般に大蒜を食ふ風習に慣れない以上致し方ないと思ひます。県ではそうした大きい見地から今申した様な方針を採つて居ります。

山内氏 私の処にいゝ例を持つて居ります。

 私の処に一、三〇〇人程収容する職夫アパートを持つて居ります。其処に鮮人を少し入れて居りますが、内地の人と同様のものを食べさして居りますが体力なども何等低下して居ないのであります。只今県の様な方針で御指導なさいましたならば、食物の問題も自然改良されるのじやないかと思ひます。

後藤氏 一寸、前の問題に遡る様でありますが、稼働状況、稼働者の移住状況等に就て一つの事例がありますので御一考迄に申上げます。或る鉱山に於て半島人を九六八名使つて居る鉱山に於きまして、其の炭坑に入つて一ヶ年未満の内に其の炭坑を抜け出した者が約三〇〇人、約三分の一になつて居ります。其の内三十日未満で止めた者が九五人、丁度一割になつて居ります。之を見ましても可成異動が激しいことが分ります。それから稼働率でありますが之は本年一月、二月の稼働率を見ますと六六%になつて居ります。一ヶ月の内に六割ですから十八日か十九日しか働いてゐないのであります。之が五、六年前の状況はどうかと云へば稼働率は八五%であつたのであります。何故五、六年前に比べて稼働率が悪いかと云へば、当時は朝鮮から新しく入つて来た朝鮮人が非常に 多かつた、その為と最近賃銀が多くなつたと云ふことがもう一つの原因ではないかと思ひます。御参考迄に申上げて置きます。

竹内検事 第四の問題「教育宗教の状況、鮮童の内鮮共学、内地語習得及内地同化の問題等」に進みます。

水田検事正 此の件に関しまして清川さんの御説明を願ひます。

清川氏 私は市の方の小学校に参つてから未だ一年にしかなりません。併し私の前に居つた村は融和問題に就て色々交渉を持つたことがあります、さういふ関係で、今度の学校には朝鮮の人達の子弟が学校に沢山来て居る為に興味は持つて居つたのであります。去年の十一月に県の社会事業協会の主催で、小倉地方に居ります半島出身の中堅青年の夜間学校を一回やつてさう云ふ方面の経験を持つて居ります。

 小倉在住の朝鮮の人達の状態を申して見ますと、朝鮮の人達の福利機関として同和会と云ふ十何年の歴史を持つたものがありまして、其の幹部なり会長は非常に温好な人物でであります。之を助けて市会議員其の他の人が世話をして居りますが、此の同和会に非常によく纏つて行つて居る様に思ふのであります。さう云ふ状態でありますが向学心が一般にあると思ひます。子供は殆んど就学させて居ります。遊んで居る様な子供は誠に少く中には非常に熱心な者もありまして、親が学校に来て教室に入つて外の子供との成績が怎うかと云ふ様なことに意を注いで居る者も再々見受けることがあります。さう云ふ様に向学心は非常に強いのでありまして、私も市に来て朝鮮の人達のさう云ふ気持に驚いた訳であります。男子も女子もよく就学させます。小学校はさう云ふ風でありますが、中等学校に上げる者は未だ少い様です、けれ共段々と多くなる様な状態に向つて居る様であります。それから子供の成績でありますが内地の子供と少しも劣らない、言語の不備もあるのに先づ中位には行く、朝鮮の子供は成績は悪くない、中には学校で一、二を争ふ様な者もありますからどの先生も朝鮮の子供の成績は悪くないと申します。

大森氏 労働者の就学率を見ますと私の処では朝鮮で普通学校を出た者が六・八%、全く行つて居らない者が八五・九%、之が全く無教育です。如何に労働者が無教育であるかと云ふことが分ります。高等小学校を出た者が一・五%、中学を出た者は労働者としてはありません、幹部にはあります。

 児童の就学率は一鉱山でもいけませんから矯風会の方で調べた結果、六〇%就学して居ります。あとの四〇%がどうもいけない。之は親の移動が多いと云ふことと、それからもう一つは年齢を超過して居ることが原因して居る様であります。年齢が過ぎて居る為に本人が仲々行かぬと申して居ります。

 以上は矯風会の幹部の人が調べて呉れたものであります。

清川氏 私の処の小倉では殷賑産業が発達して居る為に就学率などもいゝだらうと思ひます。

羽田野氏 私の処に私立小学校を持つて居りますがさうした関係で大体児童の就学率は非常に成績がいい様であります。

 矢張一般の公立小学校と違ひまして私立小学校と云ふ関係が原因して居るだらうと思ひます。

水田検事正 宗教関係は如何でせうか、之は県の方でも相当何かあるのじやないでせうか?

大森氏 私の体験から申しますと殆んど無宗教と云ふても過言ではないかと思ひます。私はあちらに居ります時は金剛山のユーケン寺と云ふお寺を借りて、お寺の庫裡に数ケ月居住して居つたのでありますが、其の時つく〳〵感じましたのは、あちらでは宗教が極度に迫害されて坊さんは段段金剛山の麓に追ひ込めらたれのでありまして、宗教に対する人民の信仰心と云ふものは殆んど無くなつて了つて、例へば寺院でお祭の様なことをやつてもお参りに来るのではなく見物に来る。皆真宗ばかりですがお寺と云ふものは皆山の中などに追ひ込められて居ります

 ふことはなく只人が死んだ時だけ形式的に葬式をやると云つた状態です。さう云ふ訳でありますから、私の処に居ります鮮人も二千何百人の内宗教を持つて居る者は殆んど居りません。

山内氏 私の方は大体大部分儒教をやつて居る様です。それからキリスト教を信仰して居る者も何人か居る様です。

水田検事正 内地の宗教はどうですか。

山内氏 内地の宗教を信仰して居る者は居ない様ですね。若しあるとしても今のお話の様に見物旁々お寺にお参りすると云ふ程度じやないでせうか。

水田検事正 岩代さんどうでせうか。

岩代氏 私の処でも今大森さんが仰言つた様に殆んど無宗教の様です。処が一昨年あたりから宗教心を涵養せねばならぬと云ふ風潮になりまして、昨年十月頃から全部神棚を作りまして天照皇大神のお守を安置しまして必ず朝夕奉拝せねばならぬと云ふことを啓蒙したのです。其の以前には鮮人の間に内地人の住つた家に鮮人を入れると之を嫌ふ傾向があつたのです。之は内地の人達は信仰心が厚いが、鮮人は神仏を信仰しないから内地人の住つた後に入ると罰が当ると云つて居つたのです。私の処でも之が迷信の打破と兼ねて敬神思想の涵養と云ふ見地から、

 て神棚を全部作つてやつた。其の為に大部分の者は神と云ふものに対する認識が出来て来た様であります。

水田検事正 内鮮人の共学此の点は未だ徹底して居ないでせうね。

一同 之は殆んど実行されて居ります。

進藤氏 之は殆んど問題ではありません。内地の子供と一緒にやつて何等手足纏ひになる様なことや、又内地の子供と差別すると云ふ様な傾向はない様であります。

清川氏 私の処の市にある小学校十六の内七学校に平均五十人づつ三百五十人位の鮮人が就学して居ります。大体純で明るい、さうして鷹揚でせゝこましい処がない、子供同志の間には其の間に大人に見る様な因襲的な差別感が少しもありません、それで一学校に五十人六十人の鮮童が居りましても少しも問題は起りません、只好き嫌ひは本人同志の感情に依つてありますが、朝鮮人なるが故に好き嫌ひすると云ふことは少しもありません、非常に私共が共鳴して居るのであります。又教師の側の心構へとしても弱者に味方すると云つた様な心持が働いて、弱い者を庇ふてやる様な気持すら働いて、其の間の事はよく行つて居ります。朝鮮二千万の同胞がどう動くかと云ふことは、子供の教育が大なる問題であると云ふことは教師が常に考へて居ります。具体的事例を挙げると非常に多くの実例がありますが、中には尋常三年頃入学した者が卒業するまで鮮人であると云ふことを誰にも知らせずに卒業させたと云ふ様な実例もあります。

竹内検事 内地語はよく使えますか。

清川氏 よく覚えます。二年もすれば少しも変りません。

裁判所側A 名前はどうでせうか?

清川氏 公式のものは鮮名でありますが、普通は親が日本名をつけてやつて居ります。

竹内検事 之は県ではどう云ふ方針ですか。

後藤氏 現在は朝鮮人を同化し度いと云ふに拘らず、内地人と朝鮮人と名前に依つて一見して分る様な状態にして置かないと色々不便があると云のが国策の様であります。

河野氏 姓名の名のみは内地名でいゝ様になつたらしいですが、姓を内地らしくすること及本籍を内地に移すことは絶対出来ないことになつて居ります。

 只今の御話の通り内地名にすることが必要なこともあるでせうが、公式の場合には公式の姓名に依らねばならぬと思ひます。何某コ卜何某と両方の名前を書くことが必要じやないかと思ひます。例へば山下一郎事金某と云ふが如きです。

裁判所側B 女の名前はどうですか?

河野氏 女も日本名が非常に多いです。

裁判所側B 何種類も日本名を使ふ者があるさうですが……

後藤氏 使いよい名前、例へば山下一郎とか田中一郎などと云ふのほ使い易いから多くの者が使ふから同じ名前の者が沢山出来る関係じやないでせうか?

河野氏 学歴に就て統計がありますから御参考迄に申上げます。無学文盲の者が八〇%弱、小学校卒業程度の者が約二〇%弱、中等学校程度の者が〇・八%、高専以上の者は殆んど数字に出ない位になつて居ります。大体県下在住鮮人の就学率は斯様になつて居ります。

水田検事正 次の内地語習得関係ですが、内地語を教へることに就て何か特殊な設備でもある処があるでせうか、さう云ふものがありましたならば承り度いと思ひます。

木戸氏 私の処の協和会が言語文字を教へることを主として居りますが、子供の内からやつて居る者は非常に覚え易い様であります。特別に教へると云ふ様なことをしなくても一緒に内地の子供と遊んで居れば自然に覚えるのです。そして子供の時に習得したものは朝鮮人特有の濁音など出ません。大きくなつて習ひ始めた者は夜間学校などに何ヶ月行つてもどうして之が矯正出来ない様です。昨年の十月からやつて毎晩やつて居りますが、矢張之が出来ません。

 例へば軍艦を「クンカン」と云ふ様な例です。又「ツ」と云ふ様な発音がどうしても出来ない。之等は濁音表とか唱歌などを以て指導すると云ふこともやつ て居ります。

 さう云ふ風に小さい子供に教へることは困難がありませんが。大きい者には相当の困難が伴ひます。

水田検事正 次に内地同化の問題。此の一対策として内鮮人結婚の問題。之をあなた方の方で奨励されて居る様なことはありませんでせうか。結婚問題は事実としてどの程度進んで居りますか。

進藤氏 現在に於きましては或る特殊の部門に行はれて居る程度で、先決問題は矢張り或る程度朝鮮人の文化の程度と云ふ様なものを引上げて行くと云ふことが先決問題ではないかと思ひます。

 それは内地人同志の結婚にしても、教育の程度或は富の程度が或る程度均衡が取れて居ると云ふことが必要であります。まして朝鮮人と内地人が結婚すると云ふことは、それ以上困難な問題ではないかと思ひます。

水田検事正 現在では困難な問題でせうね。

木戸氏 内地の女子と朝鮮の男子とはよく結婚します。併し其の反対は仲々困難の様です。

水田検事正 鮮人が内地人を希望すると云ふ傾向はないでせうか。

吉積氏 内地人を家内に持つと云ふことを誇りにして居る様に思ひます。

私の処に一人内地人の女を妻にして居る者が居りますが、酒でも飲んだ時はそのことを話して自慢の一つにして居る様です。

大森氏 現在では内地人を妻に持ちたくても出来ないと云ふ状態ではないかと思ひますね。又若し内鮮人の結婚が行はれた場合も、内地人が比較的地位等低い者に対して、朝鮮の比較的主流の家庭の者と結婚して居る様に思ひます。

水田検事正 此の問題解決までに大分距離がある訳ですね。岩代さん如何でせうか。

岩代氏 私の方では内鮮人の結婚者が沢山ではありませんが五、六名あります。成績が比較的いい様です。之等の例から見ますと、例へば女が内地人としては器量の悪い者でもよく可愛がる、そしてさう云ふ鮮人は自分では内地に同化したと云つた様な気持を持つて居りまして、何となく自分から鮮人に近づくことを嫌ふ様な傾向すらある様です。内鮮人の結婚は勿論結構なことでありますが、現在の状熊ではまだ我々の方から督励して、鮮人の嫁になることを奨めると云ふ程度にはなつて居ない様であります。

水田検事正 其の他事実談でもありましたならば承り度いと思ひます。

岩代氏 私、直接鮮人に接触する仕事をし出してから三年位しかなりませんが、凡そ鮮人の特性とでも申すかと思ひますが、疑深い或は理解がないと申しますか、之は民族風習の差異もあると思ひますが久しい間お互を見た上で相手の気持を確かめると云ふ様な気持を持つて居る様に思ひます。

それで我々が心易く交際して居つても、心の底を打開けて一つ水の中に入つた様な気持になるまで、¥には、一年以上も交際しなければ所謂胸襟を開くと云ふ処までは行き難い様に思ひます。此の頃我々としましても漸く本当の鮮人の気持も解つて来るし、又我々の気持も解つて貰つたのじやないかと思ひます。それまでは相当苦心と悩みを持つて居つたのであります。

木戸氏 私が一つ意外に感じた事例がありますので御参考迄に申上げます。私は従来成人の間には同化と云ふことは困難だらうと云ふことは考へて居りました。併し子供はさうではないだらうと思つて居りました、処が或る機会に尋常六年か五年かの子供ですが、男だつたか女だつたかも記憶して居りませんが、内地がよいか朝鮮がよいかと尋ねた処、其の子供はこちらで生れてこちらで育ち、こちらの学校に行つた子供が、どうしても朝鮮がいゝ卒業したら朝鮮に帰るのだ、と云ふ答へを聞いて実に意外の感に打たれたのであります。其の子供は朝鮮は勿論親の故郷ではあります、けれども子供等に殆んどこちらで育つて居つて朝鮮には御正月に二度か三度親に連れられて帰つた程度でせうが、それにも拘らずどうしても内地はいやである朝鮮に帰り度いと云ふことを云ふ。斯う 云ふことを聞きました時私共は従来、今の成人がなくなつて了へつて、今の子供が成人して次の時代になつたら、内地に同化出来るのじやないかと思つて居つたことを、自ら危ぶまねばならぬと云ふ感じを受けたのであります。之は従来窃かに抱いて居た危懼の念を一層深くした次第であります。

 それから朝鮮の子供自らが相手の朝鮮の子供に「何かお前朝鮮人が!」と云ひかける、それに依つて相手に一種の侮蔑を与へるものとして居る、同じ朝鮮人同志でありながら幼稚園の子供からさう云ふことを云つて、「朝鮮人」と云ふことを一つの侮蔑言語として使つて居る向があります。

羽田野氏 内地同化の問題に就きまして、幹部の者に内地の者が使ふ言葉は何かと聞いた処が、「朝鮮人」「半島人」と云はれるのが一番癪に障ると云ふ、では一体どう云へばいゝかと云へば、その間に「の」を入れゝばいゝ。内地人でも朝鮮人でも同じ 陛下の赤子である。我々を呼ぶのに何か異国人の様に「朝鮮人」「半島人」と云はれることは一番癪に障る。この間に「の」と云ふ字を入れて「朝鮮の人」「半島の人」と云つて呉れゝばいゝ感じを持つと云ふことを聞かされたのであります。それで我々の部落では「朝鮮の人」「半島の人」と呼ぶことにして居ります。それで非常に喜ばれて居ります。

水田検事正 いゝことを承りました、其の他にないでせうか、往々さう云ふことが喧嘩の動機になつたりしますからね。

後藤氏 一番嫌がることは「鮮人」次が「朝鮮人」で「半島同胞」と云ふことはそれほどでもない様です。結局記事として出る場合には「朝鮮」と云ふ事を露骨に書かず、咸鏡北道なら咸鏡北道の人と書けばいゝだらうと思ひますね。

 例へば今日此処で朝鮮人に関する座談会を開くと云ふことが既に彼等には差別感を与へる訳ですね。

岩代氏 どうかすると「朝鮮人と日本人」と云ふことを云ふことがあります。それで言語などよく注意して居りますが、本当に打ち解けて了ふとどんなことを言つても悪い感じは与へません。初めの内は打ち解けない内はどうも賤視観念を持つて居るからいけないのです。

 それで「鮮人と日本人」と云ふ様なことが非常に悪い結果を生ずることがあります。

竹内検事 それでは次に進みます。第五「思想傾向、社会運動の状況」

水田検事正 これは特高の方にお願ひします。

後藤氏 本県に居ります朝鮮人は労働者が多い結果と致しまして、一般に思想的にも頭脳の程度が低く、従つて思想運動、社会運動と言ふが如きものは殆んどないだらうと思ひます。極めて例外的に民族運動などに引掛つた者が無きにしも非らずでありますが、一般には殆んど問題になる程度のものはありません。其の他は朝鮮人の起す労働争議がチヨイ〳〵ありまして、一昨年が三件、昨年が七件と言ふことになつて居ります。

竹内検事 そう言ふ者は何人位ありますか?

河野氏 県下で三十余名です。併し最近は思想運動は殆んどなくなつた様です、一般に時局に対する積極的な参加と言ふ様な、例へば国防献金などが非常に起つて、大体今回の事変を契機としてその思想も相当好転したと言ふことが言へると思ひます、併しよく考へて見ますと、或は一部分の朝鮮人不平分子の動向を突きつめて見ると、本当に日本の有難さを知つて居るかどうかと言ふことは疑問ではないかと思ひます。只鮮人として日本に就くか、支那に就くか、ロシアに就くかと言へば、勿諭日本が強いから日本につく。我が侭勝手な利己主義から、さういふ態度を取るのではないかと言ふことも一部には考へさせられるのであります。

水田検事正 八幡の木戸さん如何でせうか?

木戸氏 私も夜間学校、懇談会、座談会或は弁論大会などで聞きましたものを根拠にして申しますと、大変いゝことを申して居ります。民族運動等殆んど眼中にないと言ふことを言つて居ります、或る者の如きは、朝鮮人として色んなことを言ふものも居るが、之を日本と朝鮮を反対の立場にして考へて見よ、到底此の位では済まぬだらうと云つて居ります。斯う言うことを聞きますとさうした思想運動など起る余地はない様にも思へます、併し今のお話の様に真底からさう言ふ考へを持つて居るかどうかと言ふことに就ては疑問がある様にも思ひます。永く朝鮮に居られた人の話を聞きますと之が又大抵悲観的なお話であります。

 今のお話の様に本当に積極的になり切つて居ない様なお話を承つて居ります。

水田検事正 田島君どう思ひますか今の点に就て、御感想は如何ですか?

田島氏 私共が実際問題を扱つて居りますと、彼等は我々も矢張日本人であると言ふ態度で居る様でありますが、民族的意識を抱いている者が知識隋級にはいくらかあるのではないかと思ひます。

 私共がいろんな機会に彼等と談話を交へます場合に、時折元の「朝鮮祖国」といふ様な気持が片鱗に窺はれることがあります、併し大体に於て表面化した言動は殆んどない様に思ひます。

水田検事正 吉積さん如何でせうか?

吉積氏 今の御説明にあまりかはりはない様に思ひます。

竹内検事 それじや次に移りまして第六「時局認識並時局協力(献金、出征遺家族救援防諜等)の状況及志願兵制度に対する動向等」に就てお願ひ致します。 

後藤氏 極く大雑把に申上げます。

 先程話しました通り此の事変になりましてから、鮮内に於ける鮮人の気持は元より内地に於ける鮮人の気持は相当変つて思想運動は殆んど後を絶つを言ふ状況でありまして、時局認識はよほど高くなつて来た様に思ふのであります。只先程御話した様に事大主義的傾向を多分に持つて居る様です、果して日本意識に目覚めて居るかどうかといふことには相当疑を以て掛らねばなりません。只従来の朝鮮人は支那人に対する反感が多かつた、其の支那人を日本がやつつけて居るその為に今では「我々の日本だ」を言うことを強く感じてゐる、そして今日では日本に頼つて行くより外仕方がないのだと言ふことを自覚して、まあ支那の言葉を借りて申しますと「没(メイ)法子(フアーツ)」と言ふ気持、仕方が無いと言つた様な気持が相当あるのじやないかと思ひます、献金等は非常に多いのでありまし て、寧ろ一般的数字から比率的に申しますと、内地人の献金より多いのではないかと言ふ風に考へて居ります。

 之は正確な調査ではありませんから洩れて居る数字が多いかも知れませんが、十四年一月迄の国防献金が県下で一万四百八十九円、皇軍慰問金が二千九百九十七円、出征遺家族慰問金が九百七十円合計一万四千四百五十六円でありまして、其の内には何年間か働いて蓄へた十何円をそのまゝ国防献金して了つた様な涙ぐましい様な事実も窺はれるのであります。

 共私の前任地でありました長野県の福島地方でありますが、国防献金を募りました処内地人は一戸平均十銭とか二十銭であつたのに朝鮮人は一戸平均一円位になつてゐる、或は高等官の人で五十銭出して居た処が後で朝鮮人の献金が一円、二円、大きいのになると五円、十円と言ふのがあつて恥かしい思ひがしたと言ふことを言つて居つたのを聞きました。それから志願兵制度が施かれましたことは県内在住鮮人に非常な感激を与へまして、同化政策上非常にいゝ結果を齎して居る様であります。本県からは十六名応募して其の内一名は探用されて居りますが、入営の時など各地から鮮人が集つて非常に盛大な見送り振りだつたと承つて居ります。

水田検事正 時局協力に就て何か御材料がありましたならば……

羽田野氏 此の問題に就て私の方の状況を申上げますと、献金とか出征遺家族の慰問と言ふことは内地人に比較して非常に多い様であります。会社の方で取纏めて献金などを致しますと、朝鮮の人の居ります処では其の間々に又自発的に献金が出ます、どう言ふ訳でさういふことをやるかと聞いて見ますと、幹部の者が答へますには我々は徴兵制度も施かれて居ない為御国に御奉公が出来ない、せめてお金でも献金して御奉公がしたいのである、と言ふから先方の言ふまゝに今日迄献金を受取つて居ります。尚志願兵制度に就て意見を聞いたことがあります。それに対して志願兵制度を喜んで居る様子は見えますが、未だ私が志願しませうと言つて出て来る者は今迄ないのであります。之等も主として幹部の指導如何に依るものと思ひます。一般的に時局を認識し時局に協力すると言ふ考へ方はないのでありますが、幹部の指導に依つて一般がそれについて引きづられて行つて居るものと思ひます。

吉積氏 私の処も矢張り金と言ふ方面でも献金もして居りますが、先達て出征軍人の遺家族に対して家業の加勢をしようと言ふことを朝鮮人の主だつた者が話合つたのです、皆農家に働いて居る人ですが何日、何時に加勢に行かうと話合つてそれを承知して居り乍ら当日来た者は僅かに一、二名しかなかつたのであります。矢張り斯う言ふ点から見ますと物品とか金銭であればそれが表面に現れるが、さうでない労力奉仕と言ふ様なことになると実行出来ない、さう言ふ点から見て時局認識と言ふ事は未だ十分ではない様な感じを抱いたのであります。

大森氏 飯塚署の管内でやつて居られる矯風会でも、時局問題に就ては卒先して色んなことやつて居られます、又皇軍慰問に南支、申支方面に行つた、伊勢神宮に参拝してお札を頂いて来て各戸に配つたり.非常に時局問題に就てはやつて居られますが、今の話の様に下層階級まで其の認識が出来てゐるかどうかと言ふことに就きましては、私共もまだ疑問に思つて居ります。

木戸氏 その一つの現はれですが、昨年の六月保育部の子供を中心として小さい乍ら愛国貯金をさせようと言ふことを父兄に勧誘したのでありますが、其の勧誘を始めますとあの貯金は返つて来ないのだと言ふ様な「デマ」が言ひふらされたことがありました。勧誘致しましたのにはいやと言ふ者はありませんでしたが、極くしるしばかりの金額だけしか出てゐないのです。さう言ふこともありました。

水田検事正 岩代さんの方面は如何ですか?

岩代氏 私の方も今仰言つた様に事変になつて間もなく新聞に国防献金が始つた時、直ぐ朝鮮の団体で国防献金をしたいと言ふ事を申出まして前後四回に亘つて献金して居ります、之は全部と言ふ訳ではなく、結局出した者は全部ですが指導者がさう言ふ意見を出しまして皆それに賛成してやつたのでありますが、非常に名誉心が強いことは明かであります。さう言ふこともありますので本当に時局を認識して国防献金して呉れたならば結構であります。其の点未だ真相は掴み得ないで居ります、併し一般的に運動形態として相当好結果を齎すと思ひます。

水田検事正 羽田野さんの仰言つた鮮人部落ですね、其の集団部落からはどういふ状況でせうか、纏つて献金をやつて居りますか?

羽田野氏 個人々々としての国防献金はありません、纏つてやつて居ります、内地人には個人のが多いのでありますが、鮮人には個人々々のものは少しもありません、団体的にやつて居ります。これを反対から見ますと指導者の指導如何に依つて一般鮮人が動いて居ると見てもいゝだらうと思ひます。私の会社では従業員全体としてやる場合もありますが其の間々に鮮人だけやります、其の理由を問ひますとその答に「我々は未だ微兵制度も施かれてゐないから御国に御奉公出来ないからせめて献金でもして御国の為に尽し度い」と言ふから然らば今度志願

 になつたが誰か志願しないかと言ふと未だ自分が志願しませうと言ふ者はない、まだ其処までは行つて居りません、さう言ふことから見ますと之も一つの指導者の指導によることだと我々も考へて居ります。

竹内検事 それでは第七の「政治運動」に進み度いと思ひます。

西依氏 県下一般に於ける政治運動と申しましても、先程からお話がありました様に本県在住の鮮人の殆んど全部が労働者でありまして、而も無智文盲の者が多い様な関係から、政治問題に対する批判力と言ふものは殆んどないのであります、従つて政治運動と言ふ様なものは従来あまり見られなかつたのであります。

 処が昭和七年に朴春琴代議士が当選しましたのが、あれが非常に県下在住の鮮人に刺戟を与へまして、そうして矢張り朝鮮人も内地に来れば選挙権が与へられて居るのだから之を利用して朝鮮人の生活の向上を図らねばならぬと言ふことから、政治運動に乗り出す者が非常に多くなつて参つたのであります。其の結果昭和八年の四月本県の全県下に於ける町村会議員の選挙が施行せられましたのに町村別にハツキリ記憶致しませんが全部で十六名の立候補者を出して居ります、そしてその内三名が当選したのであります。斯う言ふ本県下の事実が出ました結果、一般鮮人の政治に対する理解或は時事問題と言ふものを非常に重要視すると云つた様な結果になりました。それからは各選挙毎に朝鮮人の多数居る処は必ず立候補すると言ふ機運が台頭して参つたのであります。昭和九年の門司、若松の市会議員選挙には両市から各々立候補して居ります、其の時は代議士の朴春琴等が東京か応援演説に参つて居るのであります、其の時の運動状況を見ますと、矢張り民族的気持を多分に含んだ文書或は演説と言ふものによつて同志の結束を図つて当選しようと言ふ様な状態であつたのであります。其の際も若松の一名のみ当選しまして門司の方は落選して居ります。

それから昭和十一年に小倉及戸畑の両市会議員の選挙にも夫々一名立候補致しまして之も当選致して居ります、それから一昨年行はれた町村会議員の選挙には鞍手郡笠松村、遠賀郡水巻村、嘉穂郡穂波村から夫々立候補しまして水巻、笠松は当選して居ります。それから昨年の八幡、福岡の両市会議員選挙に福岡一名、八幡三名立候補致しまして相当果敢な運動をやつて居たのでありますが落選して居ります。

又咋年の門司、若松の両市会議員選挙に門司一名、若松二名立候補して門司一名、若松一名が当選して後の一名は落選して居ります。

 大体に於きまする本県下の朝鮮人の政治運動は、さうした経過を辿つて居りますが、今迄の運動の傾向は要するに内地の政治に協力すると言ふよりも、自分達は自分の手に依つて問題を解決する必要がある。併し今迄の様に非合法運動ではいかぬ、矢張り合法運動に依らねばならぬ、之を内地人の手に任せて居つても我々の日常生活は向上されない、矢張我々の日常生活の向上と言ふことはどうしても我々自身の手に依らねばならぬ、と言ふ様な気持が其の選挙運動に多分に含まれて居る様な傾向が私共の方から多分に見られて居つた様な状態であります。

水田検事正 各地の状況に就て此の点何か特に参考になる様なことでもありましたら……

羽田野氏 只今の鞍手郡の笠松村の村会議員は、先程申しました集団部落から出て居る村会議員でありす。

 之は斯ういふ席上ではどうかと思ひますが、また本人の希望ではありませんが笠松村の一角に私の方の鉱業所の作業所があつたのであります。此処から一名は村会議員が出て居つた方がよからうと言ふので、私の方から薦めた訳であります。それで今の県のお考への様なさう言ふ考へは私の方ではない訳であります。従つて村会等に於ても或は殊更に反対意見を出すと言ふ様なことはないのであります、又村の色んなことに非常に尽力してやつて、出征軍人遺家族等に就ては、此の男資産は沢山持つて居る訳ではありません。けれ共相当自分の私財を投じて出征軍人遺家族慰問など一手に引受けて進んでやつて居る様な実情であります。私共としては其のやり方を非常に喜んで居る様な訳であります。                       ’

水田検事正 次の「犯罪状況及其の特殊性等」之は此の機会でなくてもいゝと思ひますので之は飛ばしまして、第八「内鮮融和事業の現況及之が指導方針等」に就て御願ひします。

進藤氏 内鮮融和の近況を申上げます前に、従前の融和事業はどんな風であつたかを簡単に申上げます。極く以前に於きましては融和事業と云ふ程のことはないのであります。只警察の側に於きまして警察の取締を通じて鮮人を指導して行く、善導して行くと云ふ風なことが行はれて居つたのであります。実際協和事業と云ふものが積極的に乗り出して来たのは事実上昭和十二年度からだと思ひます。主として県に於きましては社会事業協会が協和事業を担任致しまして、色んなことを計画して実施致して来たのであります。年に一回、中堅人物つまり地方に居ります鮮人の人達で一般の人達を指導して行く様な地位に居ります、つまり指導者として有力なる人物を四、五十人集めまして泊り込みの講習会を致します、それから年に四ケ所づつ夜間学校を開きます。之は四ケ所男女 各四〇人か五〇人程度を一学級に致しました、つまり一ヶ所に二学級と云ふことになります。さうして鮮人に対する理解を持つて居られる小学校、或は青年学校の先生方にお願ひしまして、一ケ月間夜間学校をやると云ふことを主としてやつて来たのであります。或は融和会、或は懇話会等朝鮮人の団体があります。それらの団体は一種の親睦団体として組織されたものが主でありますが、其の組織内容等は団体に依つて各種各様になつて居りまして、何等整理統一されて居ない実情でありまして、之をそのまゝにして置いては指導して行く上に色々不便な実情にあつたのであります。又一面さういふ団体は一部野心家が政治的勢力を扶植する役目に利用され易い。或は又圧への足らぬ為にどうかすると色々な会合等に依つて徒に民族意識を唆る様な気勢もあつたのであります。これを昨年から従前のさう云ふ団体をすつかり解消致しまして、さうして本当に鮮人の保護教化指導と云ふ方面に適する様な組織に改組しようと云ふ様な計画を立てまして、勿諭之に就きましては特高課の方が非常な積極的態度で、何もかもお膳立して下すつて、現在其の改組が半分ばかり進んで来たのであります。どう云ふ方法で改組したかと申しますと、根本方針として従来融和事業は所謂内鮮融和である、どうかすると朝鮮の人、それから内地の人、それがどちらからも歩み寄つて、朝鮮の人でもなければ内地の人でもないと云ふ様な結果になつて了ふと云ふ嫌があつた様であります。何と申しますか懐柔政策と云つた様なやり方だつたのであります。処が此の懐柔政策ではいかぬ、もう少し力強い政策を加へて行く事が必要ではないか、つまり恩威並び行はれる様なやり方でなくてはいかぬと云ふ様なことになりまして「融和」と云ふことから「同化」と云ふことに進んで来たと云ふことも言ヘるのであります。結局歩み寄りでなく朝鮮の人達を立派な日本人に為す、斯ういふことから改組のやり方に致しましても、朝鮮人を指導教化するのに最も都合のいゝ様な組織に組み立て直して了ふと云ふやり方が進んで来たのであります。組織の方針をもう少し具体的に申上げますと、大体さういふ団体は原則として一警察署に一団体、仮の名称を福岡でありますならば福岡署の署名を覆せました処の矯風会、「福岡矯風会」或は「箱崎矯風会」として、会員は勿論福岡全部の鮮人を以て会員とする、役員としても従来は殆んど最高の役員は全部朝鮮出身者でありましたのを、今回は警察署長を会長とする、そして市町村長或は之に準ずる人々を顧問にする、或は一名は社会課長、一名は署の高等主任、幹事には警察関係の人、その下に指導員と云ふのを置きまして実際生活を指導して行く役割を持つ、之が内地人朝鮮人で適当な人にお願ひする、そして其の下に夫等の人の指導を助けて行く者として補導員、之は総て朝鮮の人、さう云ふ段取りに致しました。維持の方法は従来は朝鮮人から会費を徴収して居つたのを、今回は一切会員からは徴収しないで之を県なり市町村から支出する外、篤志家の寄附金などに依つてやると云ふことになつて居ります、今の処三十警察の内十四、五の分だけは改組を終へて居るのであります。

次に指導でありますが、之は先づ矯風会の指導員を訓練して行く、それから中堅婦人の養成をする、そして之を漸次全体に及ぼして精神の作興をやる。さう云ふことの出来る様な組織に夫々の会の組織を組立てると云ふことが一つ、次は精神作興に関する事項、生活改善に関する事項、犯罪防止に関する事項、等各項目に分けまして夫々具体的方法を極めるのであります。

尚大体の改組に関する計画は、すつかり特高の方でお膳立して項いた様な関係もありますから、私の申上げた以外の不備の点は特高関係の方からお願ひし度いと思ひます。それからもう一つ従前の協和事業に関することを申上げます。八幡に協和会と云ふのを昭和十二年に設立致しました。従前より丸山学園と云ふのがありました。之は朝鮮人の保護機関であつたのでありますが、それを協和会に改組して保育事業、職業指導等をやつて居るのであります。理想的に申しますならば矯風会と云ふものが出来ましても所謂教化に属する部分を主として担任するのでありまして、斯うした大きい都市では隣保事業を行ふことが必要ではないかと思ふのであります。只県が八幡にのみさう云ふ施設を最初に致しましたのは、当時在住鮮人の大部分が北九州に集中致しまして、其の北九州の内では八幡が中心で人員も最も多かつたし、又従前のさうした施設があつた為に此処に最初に置かれたのであります。尚斯う云ふ事業を社会事業協会でやる様になつて僅々二年位でありまして、未だ十分御期待に副ひ得ない点もあるかと思ひますが、之は色々経費を伴ふことでありますから速急には実施し兼ねる問題でもあります。 

水田検事正 其の他之に関連したことに就てお願ひします。

清川氏 それでは私が教育者の立場から申上げます。之は教育者としての一つの夢かも知れませんが、二宮尊徳先生が報恩感謝と云ふ方面から思ひ立たれた報徳会と云ふものが、始めの内はどうもうまく行かなかつた、三十六の年から思ひ立つて四十幾つになるけれ共いけない、其処で神社に所願して三、七、二十一日の間修養されてやうやく悟りを開かれた、今までは町の人達のいけない処ばかり気がついてゐた為に自分の思ふ様な仕事が出来なかつた、それで其の後は目をつぶつて人の短所や欠点を見ぬ様に努められた、其の結果町の人々の悪い処が目につかぬ様になつた、そして今度はうまく行つて町が段々に更生して来たと云ふことが尊徳先生の書物に書いてあるのを見たことがあります。内地人も鮮人も同じ 陛下の赤子であると云ふ双方の感激が湧いた時、融和も協調も出来るのじやないかと思ふのであります。私の処の学校で、県の社会事業協会の御指定で五十名六十名の男女を集めて夜間学校をやつたのであります。私が校長である関係上三つの学校から各一名づつ三人の先生を選抜しましてやつて貰つたのですが、其の三人が揃ひも揃つて熱心な人でありました。朝鮮の事情もよく知らない人でありましたが、三時間づつ二十六日間熱心に日本人らしい様に協和同化せしむる様にやつたのでありますが、別かれる時など女子の先生にはすがり合つて泣いたそうです。又男子の先生も之ほど意義のある仕事をしたことはないと云つて居りました。さう云ふ点から考へましても、我々指導者の立場に居る者は彼等の短所欠点を見ず、大きい広い心で指導せねばならぬのじやないかと私共は教育者として考へるのであります。斯う云ふことから考へましても、最も大切なことは差別感をなくして彼等を指導して行くと云ふことは、廻り遠いことであると云ふ様なことを感じました。

羽田野氏 内鮮融和問題に就て、私の方で相当実績を上げて居りますので、話をして見度いと思ひます、最初朝鮮人を使ひ始めたのは樋ノロと云ふ現場監督の人が居つたのでありますが、其の人が鮮人の同化と云ふことは先づ第一に鮮人の服装を変へることが必要である、と云ふので全部青年服を着せようと云ふことで会社の方から強制的と申しますか、服装を全部支給致しまして訓練も青年訓練所へ入れまして日常訓練も内地人と同様にやる様にしたのであります。其の結果非常にいゝ成績を挙げたのでありますが、それと同時に指導者が朝鮮から参りました者が大分居りまして朝鮮の一角の部落を其のまゝこちらに移した様な実情になつて居ります。其の上に其の人が七、八年指導して参つた為に其の人に対する敬慕の念と云ふものは非常深いものであります。そして其の人が退職する時など何とかして恩に報ひ度いと云ふので、其の人に対する彰徳碑を建設することになつたのであす。其の建設に就きましては官庁の許可が要る為に願書を出し処、県では最初生存者に対する彰徳碑の建設出来ないと云ふことだつたのでありますが、是非と云ふ一同の願ひに依つて之は内鮮融和事業に取つて最も良い事であるからと云ふので特別に許可して頂いたのであります。其の時の彼等の喜び様は非常なものでありました、其の材料は芦屋と云ふ処で現場から十里位離れて居りますが、其処から朝鮮の古事に則りまして長の道中を輓いて参つたのであります。今それは事業場の中に立つて居りますが、一同は朝夕にそれを見て其の人の徳を慕ふと云ふ状態でありました。其の人は不幸亡くなられましたが、葬式等も殆んどそれ等の人々の手に依つて済ましたのであります。社長も之を見まして内地人も及ばない其の心情を喜びまして、事業場に行つても必ずそれらの人にお目に掛ることを唯一の楽しみにして居ります。又其の作業場を一時中止しなければならぬと云ふことになつた時、事情を話しました時も、何等争議的気持も紛議的気持もなく、一応は皆止めたのでありますが、其の時も彼等は「我々は此の事業の為に相当蓄財も出来たし安んじて生活することが出来たのだ」と云ふので其の事業場に報恩碑と云ふものを建てゝおります、それも主として鮮人に依つて建つたのであります。

 其の後又事業を始めた為現在は従来の人が残つてやつて居るのでありますが、之もその内に優良な指導者が二、三名居りました為、さういふ結果を得ましたことゝ、それから最初に内地人がよく之を指導したことに依るのでありまして、要するに指導の地位に立つ者の理解が深かつた結果ではないかと思ひます。

水田検事正 もう時間も四時を過ぎましたから之で閉会することに致します。大変各位に於かせられましては御多忙な身にあらせられ、而も年中行事として本月は特に御多忙の様に拝察して居ります、此の間に於きまして終日我々の此の会の為に御援助、御指導を賜りましたことに就きましては、衷心より深く〳〵御礼を申上げる次第で御座います。お蔭様で此の方面のことに就て各方面に於ける事実を御垂示下さいまして、私共の得ました処の知識は誠に大なるものであります。御蔭様で鮮人に対する認識も出来た訳であります。従て今後民事と謂はず、刑事と謂はず、相当の改良を施して、所謂再検討せねばならぬ点がありはせぬかと云ふ処まで新しい知識として痛感致した次第で御座います。

 只此の永い日に於て休憩も致さずぶつ通しにお願ひしました点、誠に御無理でありまして衷心恐縮に存じて居る訳であります。併し何様此の問題は複雑多岐に亘るものでありまして、一日の内に終ることは無理ではありますが、斯ういふ問題に対しましては中途半端にして置くことは私共に於きましても誠にしのび難い処であるのであります。御無理とは存じましたが、途中で休憩することも出来ず、御無理をお願ひした次第であります。

 此の点に就きましては深くお詫び致します。

 私共の仕事は、治安を維持し国利民福を助長すると申しますものゝ、実際取り運んでおります仕事そのものから真直に考へますと、社会の指導に外ならないと思ふのであります。

 社会は時々刻々に変化して居ります。而もその進化に伴ひまして年一年複雑多岐になることは申すまでもないことで、其の間検察の局に当る者として、敢て常道を外して居ないかどうか甚だ疑しきものであります。是は是とし、邪は邪として行く事が我々の仕事であります。

 左様な見地から、どうしても社会情勢をよく知り、よく呑み込むと云ふことは我々としては一番必要なことであるのであります。斯様な関係にありますから、此の種の会を今後に於きましても時に開催致し度いのでありますから、誠に御迷惑ではありますけれ共、今後に於きましても引続きご援助、御推挙賜らんことを此の機会にお願ひ致す次第であります。

 誠に本日は御熱心に各方面に亘つて色々御聞かせ下いまして、此の点に就きましては重ねて深く御礼を申上げる次第で御座います。誠に有難ふ御座いました。