内地、支那各地在住の半島人の活動状況に関する調書

出版年:1942年(昭和17年)8月3日

発行:朝鮮銀行京城総裁席調査課

 

最初の「例言」にあるように、朝鮮銀行の業務情報誌に寄稿された下関支店勤務の富田氏の『下関在住半島人の活動状況』を契機として、主に内地での朝鮮人の状況についての調査を会社規模で行い、編集したもの。

 銀行という職業柄、主に預金、送金や貸付といった金融上、経済上の観点から見たデータや分析、観察が多いのが特徴であり、特に日中戦争開始以降の朝鮮人の日本内地に於ける経済活動や生活状況を知ることができる史料となっている。

著作者:
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例言

一、昭和十七年一月発行の業務情報創刊号に寄稿のあつた下関支店富田行員の「下関在住半島人の活動状況」は内地に於ける半島人の生活状況の一端を窺知するに充分なる資科であつたが当課に於ては右以外の内地当行各店及び関東州、支那の主要都市所在の当行各店に依頼し右各地に在住する半島人の活動状況を調査中の処、此の程大連を除き全部出揃つたので是等報告を一括謄写に附し各店の参考に供することゝした。

二、各報告書を総合するに内地、支那、関東州に於ける半島人の活動状況は各々其の地により異り夫々の特長のあることが見出される。

(イ) 右各地在住の半島人の職業について之を見るも内地に於ては有識的職業に従事するものは僅少なるも、其の半数以上を占める大部分が筋肉労働者として現時下労力不足に貢献しつゝあるに対し、支那在住の半島人は右と事情を異にして筋肉労働者は殆んどなく、各種職業に普く従事するものある一方其の大半が無職即ち業種調査困難なる概して「阿片、モルヒネ、へロイン」等禁制品の密売買等不正なる業務に従事するもの多く、為めに当路者に対し対策樹立の急務を呼ばれつゝある実情にあるが如きである。

(ロ) 併し乍ら右は大体の趨勢が然ると云ふに過ぎず、一般半島人に対して云はれる処の怠惰性、浮動性、国家観念薄弱性倅幾多民族的性情に基く欠点が挙げられるにも拘らず、内地に於ける有識職業 階級に属するものは公徳心に富み、生活も内地人化し二十年以上も在住し他の半島人の指導的地位に成功したるものも少なからず、資産も四、五十万程座に及ぶものも相当数へられる状態に在り又支那に於ける半島人が全部が全部不正業者と云ふにはあらず、支那事変を契機とする我国の勢力の伸張と相俟つて其の経済的発展は特に目覚しく、殊に貿易、雑貨等の取引方面に対する進出は頗る活溌にして漸次堅実なる経済的基礎を固めつゝあると共に支那語早期習得による利便を以て軍の通訳としても我軍作戦の一部をも担当しつゝある状況である。

(ハ) 内地各府県には各府県協和会あり、又支那主要都市には各地協励会ありて専ら内鮮一体化の精神より半島人の皇民化、内地化と経済生活、精神生活の向上改善を期することを主たる目的として各種事業を行ひつゝあり、各地在住の半島人の時局認識により国防献金、国債消化に対する協力等幾多の成果挙揚せられつゝあるを見るのである。

(ニ) 在住各地に於ける半島人の一部を除きて大部分は資力概して薄弱なるため是を銀行業務上より見るときは少額預金の吸収は兎も角銀行等利用による資金の需要は殆んど見るべきものなしと云ふの他なく、青島支店の華北埋草会社との取引は最高にして殆んど唯一のものにして他は支那各地に存する興業金融組合に対する少額融資の外には数ふるに足るものなく、今後の右各地在住の半島人に対する当行取引は概して発展性を期待し得ざるものと思惟せられる。

(ホ) 因に本調査計画当初在満半島人の状況に付ても資料蒐集の予定であつたが、種々なる事情に依り遂ひに恰好の資料入手不能に陥つたのであるが、幸ひにも朝鮮総督府司政局拓務課の諒解を得て本書末尾に「在満朝鮮人各省別並に職業別戸口表」を附することが出来、以て多少なりとも本書の欠陥を補ひ得たことは洵に感謝の至りである。茲に謹んで同課の好意を謝する次第である。

     昭和十七年七月

                            朝鮮銀行京城総裁席調査課

 

1~39ページ

 

内地、支那各地在住の半島人の活動状況に関する調書

    下関在住半島人の活動状況

                               下関支店

 世紀の驚異的我が科学技術は遂に関門海底トンネルを今日見事に開通せしめ、更に関釜海底トンネルの着工計画がさながら延び行く日本を象徴するかの如く目下着々と進められつゝある。かくて躍進日本の玄関として愈々その地位を昂めつゝある我下関に於て戦時下貴重な労働力を提供して各種労働部門に従事する半島人の生活状況並に一般半島人の活動状況を専ら下関署管轄下にある者のみを研究対象として一瞥して見よう。

 先づ本市在住半島人総人口は二万二千に垂々とする。其の中下関署管轄に属する市内並に彦島町を含む人口は一万六千七百余人、戸数三千余戸を数へ(中二千戸余は本市西部即ち大坪町に一部落をなしてゐる)、東に豊浦署に属する長府町、小月町、安岡方面に約五千余人、戸数一千余戸が数へられる。人口に於て全国第七位、密度に於て約一割弱の稠密状況にある。豊浦署管轄にある者は殆んど田園生活乃至は土工夫生活を営み小作農に或は炭焼業に或は土工夫、漁夫に従事し、生活様式は半島鳳俗習慣が其の侭行はれてゐる低度のもので、無産者乃至無職者層が大部分で素朴な生活状況にあり、此処に研究の対象となる何ものをも有しない。下関署管轄に属する者を今昭和十五年十二月末日現在の職業別人口調査表を掲げて研究の資料としよう。

職業別

合計

 

職業別

合計

官公吏

-

 

機械工業雑役

一、二二六

三一

一、二五七

学校教員

-

 

硝子工業職工

-

 

牧師僧侶

-

 

硝子工業雑役

一一

-

 

事務員

二三

-

二三

 

化学工業職工

四八

-

 

普通商人

七六

八二

 

化学工業雑役

一九二

 

人参販売業

-

 

電気事業職工

-

 

雑品販売

一八

二三

 

電気事業雑役

-

 

菓子販売

一七

一〇

二七

 

食料品工業職工

三〇

-

 

有識的職業

 

食料品工業雑役

二五二

三〇三

 

屑商及雑業

二九一

一一

三〇二

 

土工夫

一、五八〇

三八

 

小作農

一二

 

其他類似

一二二

八二

 

漁業

-

 

出版工業

一六

-

 

染色職工

一二

-

一二

 

出版雑役

一四

一八

 

染色雑役

三二

四一

 

通信労働者

三八

-

 

繊維業

-

四二

四二

 

鉄道従業者

九二

-

 

金属職工

二〇四

-

二〇四

 

自動車運転業

一一一

一二

 

運輸其の他

五四

-

五四

 

在監者

二八

-

 

仲仕

一、五二三

-

一、五二三

 

無職世帯主

一二七

-

 

店員丁稚

一四二

一四九

 

無職従属者

一、七二三

四、〇六二

 

農夫

一八

二六

 

其他

 

 

漁夫

二一五

-

二一五

 

合計

一〇、三九八

六、三五四

 

家事使用人

三三

二九

六二

教育程度

 

 

 

其他労働者

八三九

四一一

一、二五〇

 

専問学校以上の

 

 

 

接客業者

五二

一七六

二二八

 

卒業者

-

学生生徒

七八

一九

九七

 

中等学校卒業者

三九

一四

五三

小学児童

一、一一五

一、〇五七

二、一七二

 

小学校卒業者

一、九三九

八六六

二、八〇五

註1、比較的堅実な営業部門

    一、飲食店、料理屋  約 三〇軒

    一、洗濯屋      約  六軒

    一、カマボコ製造   約  五軒

    一、理髪業      約  七軒

2、全国的に見て人口第七位

   3、人口密度一割弱(但し総人口に対し)

    密度は他の都市に比して相当稠密である、第一位にある大阪ですら五分弱である。

     (下関署特高課協和会調査に拠る)

 掲表に依り大別して見る男子の七〇%が筋肉労働に従事し、主に土工夫、仲仕、各種生産工場の職工又は雑役として従事しており、雑役に於ては婦女子も加はりて最低生活を維持するための賃銀収得に孜々として立働いてゐるのである。残りの三〇%は個人営業を小規模的に経営してゐるものであつて之等の営業が全部半島人を顧客として営まれて来ており、従つて取扱商品も専ら半島人向のものて之等の商売は比較的順調に営まれてゐる。其の主な理由は同業者が少いと云ふ点からである。取扱物品の主なものを二、三備考に挙げれぱ消費最の最も多い明太魚、鮮内産塩干魚類、漬物嗜好品、反物では婦人好みの鮮な色付物、諺文書籍(小説、民話)、其の他一般雑貨等で皆半島人の要求を対象とするものである。

 此等個人経営部門の中接客業は本市の特色あるものにして相当古くより駅の附近にありて絶え間なく往来する半島人を相手として小規模に行はれてゐる。更に享楽機関とも云ふべき科理屋、飲食店が約三〇軒許りありて好景気にある半島労働者の懐を冷やすに足る存在となつてゐる。

 一般商業部門の経営振りを観察するに、何れも小資本を以て之を飽和的に運用し資金の余裕なるものは余りなく、極端に云へば今日の統制下物品不足に伴ふ購買者の消費促進の心理状況に乗じて売捌きの容易さを見込み資金を出来るだけ多く運用して多量に仕入ようと云ふ考への下に経営されてゐる模様である。此処の事情を語る最も適例として一商人の云ふのには銀行の金利を目的に預金をするよりも預金相当額を資金として運用した方が何倍もの利益を挙げ得ると……。此の事は常識的な考へであるが、元来在関半島人の大多数が最初無産無識階級の者で、小資本を手一パイに運用してゐる関係から資力も余裕がなく其の上金融商業の基礎知識に欠けてゐるため経営に於て自ら金融機関を利用する事なく、僅かの経験に基づいて単純な経営方法を繰返してゐる状況である。之等商業者の中現今当行と取引を有するものは主に明太魚、塩干魚類を取扱ふもので、其の取引を見るに北鮮地方より明太魚手形が荷手割手の形態に於て取組まれて来る。取組金額は八、九千円以内で五、六千円から時によると二、三千円が中心になつてゐる。決済振りは比較的良好で現金乃至は特当残より之を決済し何れかと云へぱ現金決済が多い。かゝる現金は元来現金尊重の念が強いと云ふ事と資力が少いため現金取引の多い関係からであつて時折現金を入金して送金為替を取組むものもある。そして之等の明太魚商は本市一般商業部門中大口のもので卸小売をなしてゐる。此の商品が売捌かれるのは本市西部に位せる大西市場(異名朝鮮市場)で、此処を中心に半島一般小売商人が集合してゐる。これらの反物商或は雑貨商等の小売商が三千余戸の半島人の物質慾を満たしてゐるのである。

 前表に依つて在関半島人の生活状況、教育程度、経済事情の大要が推断されると考へるが、又之によつて当市が如何に多くの労働力を需要してゐるかも自ら分ると思ふ。全般的に其の生活状況を見るに低度のものであつて此の主な理由としては彼等の経済力が貧弱である点と生活様式が非文化的で、其の上男女を問はず無教育層が多く、風俗、習慣、言語に於て在来の域を脱するを得ないものが多い点からである。教宵程度を見るに中等学校卒業以上の者が僅か男女合せて五四人、小学校卒業程度男女合せてニ、八〇五人、全人口の僅か一七%に過ぎないのである。而して又経済的には大体三段階に分けて考へられる。其の一は労働者階級、其の二は個人営業者、其の三は有識的職業にある者である。先づ労働者階級労働賃銀は男子日割二、三円が中心で場合によると四、五円迄も収得出来ると云ふ好景気である。然し何しろ筋肉労働に従ふものが大部分である関係上身体に故障が生じ易く一週間の中過激な労働に堪へ得るものは極く僅かにして大低過労症に陥り一、両日休養を余儀なくせらるゝ状況であり、其の上物価高、物資不足等により充分の栄養をとつて休養をなし得ざる模様である。其の為今日好景気に直面しておつても経済的には何等恵まれざる様である。之等の人々が元来無産階級であるため生活の保証に於て日稼ぎが多く、且土工夫の中には天候の加減其の他の事情により休労を余儀なくされる場合があり、更に労銀が日給制度が多く其の日の収入を以て其の日の糊口をつなぐと云ふ風の者が大多数なのである。従つて之等の階級にあるものは財を蓄へる事が余程困難で衣食住に追はれると云ふ風で全く貧民的である。次に個人営業を営んでゐる一般商人階級を見るに之等は前述せる如く小規模な経営をなし且其の対照が少就入者たる半島人である点から大規模に行へるもの少く、唯一つ彼等の特典としては同業者が少数なる点から物品販売力は割合に順調で之を利用して手許資金一杯の営業をなし其の結果資力に余裕がなく、仮令余裕があつても彼等の心理状態が元来金融機関を利用して貯蓄をすると云ふ方法を喜ばず何処までも現金尊重主義を固持してゐる。貯蓄心に富めるものでも郵便貯金を好み銀行等を利用する者は実に少数である。之は無論無産者、無識者の多い為でもあるが、小額貯金が多く然も出入が頻繁である関係から強いて銀行を利用する迄もないと考へ物品の仕入に於ても郵便為替を以て送金すると云ふ小規模な方法が行はれており、中には相当大口に取引をしてゐる者に於て云ふのには銀行取引をすると実質無産者なるも有産者に解せられ営業税其の他諸税が高く賦課され営業が営みにくいと根拠なき理由もあげてゐる。今当行と預金取引を有するものを見ると定期に於て一口、特当約二〇口が上げられる。

 次に第三番目の有識的職業に従事するものはサラリー生活に居るもの又は堅実な営業を営んでゐる者で、之等の階級は公徳心に富み生活も内地化し内地の有識者と大差ないものである。之等の人々は専ら内地人を相手に営業をなし又は内地の会社の下にサラリー生活を送つてゐるものであつて其の生活様式も文化的で貯蓄心にも富むと云ふ所謂有識者で之等の数は僅か全人口の〇・四%弱である。

 以上の如く在関半島人の多くは経済的に恵まれず最低生活の維持に孜々として労役に従事してゐると云ふ貧弱な状況にあり、在関半島人を対照に預金勧誘をなすとするも中々困難にして其の勧誘の範囲も勢ひ限定されて来るので、現金預金勧誘の可能性あるものとしては半島料理屋飲食店が第一番で、之に次で明太魚商、反物商、理髪業、カマボコ製造業、古物商、屑商等があるが現今の彼等の心理状況から推して今後相当困難性があるのではないかと考へられるものである。然し未だ悲観論を出すべきではない。今後益々朝鮮銀行の存在を知らしめあらゆる機会にサービスを良くして彼等をして当行に親しませるべく、吾々行員は卒先彼等と親交を多くする事が今後の対策である。そして信頼と親睦心の喚起によつて彼等を指導しつゝ貯蓄心を募り、更に当行利用の段階に至らしむべきである。

 

 

    東京に於ける半島人の活動状況

                                  東京支店

       一、概説

 大正十二年関東大震災当時東京在住半島人は僅か五千人程度に過ぎなかつたが昭和十六年末には約十万四千人に増加してゐる、内地全体では約百二十万であるから東京は全体の十二分の一であり4大阪府に次ぎ第二位を占めてゐる、半島人の性格として女と政治問題に関しては頗る早熟なので早くより治安取締の対象とされて来た、昭和十年頃には半島人自体の自治的各種団体は其の数三百を超え剰へ内鮮問題の漸く繁を加ふる情勢に鑑み半島人の内地化皇民化と経済社会生活の向上とを図る目的を以て昭和十一年十一月府社会課内に東京府協和会が設立せらるゝに至つた、爾来協和事業の積極的促進により従来の自治団体は殆んど解散せられ社会生活上に於ける内鮮一体の実も次第に揚がり殊に大東亜戦争以来其の成果見るべきものがある、以下項を分ちて詳述することゝする。

       二、人口問題

 A、昭和元年以降の分を示せぱ次の如し

年別

人口

 

年別

人口

昭和元年末

一三、二三一

 

同 九年末

四四、四〇六

同 二年末

一六、〇八三

 

同 一〇年末

五三、五五六

同 三年末

二八、六八三

 

同 一一年末

五四、六七一

同 四年末

三一、一五三

 

同 一二年末

五九、五一二

同 五年末

二九、六六九

 

同 一三年末

六四、三二一

同 六年末

三一、〇〇一

 

同 一四年末

七四、一六二

同 七年末

三六、一七五

 

同 一五年末

八七、四九七

同 八年末

三九、三一三

 

同 一六年末

一〇四、一五六

 昭和十六年末の人口は一〇四、一五六人で昭和元年のそれに比較すると約九倍になつてゐるが大阪府の四分の一、内地全体では十二分の一にしか当らない、昭和十三年迄の増加は年平均僅かに四千二百人程度であつた、これには自然増加と他府県よりの移動流入が大半を占め半島よりの直接移住に因る増加は比較的尠なかつた。

 昭和十四年以降は労務動員計画に基く労働者の大量移入の影響を受け十四年は九、八四一人、十五年は一三、三三五人、十六年は一六、六五九人と逐年従来になぎ激増振を示してゐる、殊に大東亜戦争以降は内地の労力需要著しく労務勣員計画によると大体全国で五万人主として炭坑労働者を中心に移住せしむる計画の由である。

 B、半島人の出身地区を示せば次の如し

        半島人出身地別調(昭和十五年末)

区分

内地全体

京畿道

二、七四三

九四五

三、六八八

一八、四八六

忠清北道

一、九四七

八四一

二、七八八

三四、〇九七

忠清南道

二、三五九

九八八

三、三四七

四六、七三九

全羅北道

四、三一九

二、一〇七

六、四二六

七七、七一八

全羅南道

九、七五二

四、七三二

一四、四八四

二二八、三〇七

慶尚北道

一二、三五六

六、二七二

一八、六二八

二九四、一六六

慶尚南道

一四、九九〇

七、八四三

二二、八三三

四四一、一四八

黄海道

一、五二二

四七一

一、九九三

七、五三八

平安北道

一、九一四

四八七

二、四〇一

六、五九五

平安南道

二、四七九

七六四

三、二四三

一一、四一五

江原道

一、三二五

三九七

一、七二二

一一、三四六

咸鏡北道

一、六五二

三七三

二、〇二五

四、八〇七

咸鏡南道

三、〇四〇

八七九

三、九一九

八、〇八二

六〇、三九八

二七、〇九九

八七、四九七

一、一九〇、四四四

 而して慶尚道、全羅道の出身者が大部分で全体の約七五%を占めてゐる之は主として地理的関係によるものであり内地全体から見ても同様の傾向が推察出来る、之が分布の概数を示せば次の如く本所、深川、荒川、葛飾方面に密住して居り麹町区が最も少ない。

        東京府内地域別人口分布(昭和十六年末)

区分

人員

摘要

本所、深川方面

二〇、〇〇〇

何れも概数を示す

荒川、城東方面

三〇、〇〇〇

 

蒲田、大森方面

一〇、〇〇〇

 

三多摩、府中方面

五、〇〇〇

 

其の他

三九、〇〇〇

 

一〇四、〇〇〇

 

      三、職業及生活状態

 一般生活状態は最も悪いのが労働者階級であり次は商人である。彼等は粗衣粗食に甘じ生活は出来るだけ簡易化し殊に労働者階級に於ては非文明的域を脱してゐない。知的職業階級は比較的内地化してゐるが其の数は非常に少ない。伝染病の発生は未だに朝鮮人の密住地に多い犯罪は生活難からの窃盗が大部分で昭和十五年中の統計によれば窃盗七六九件(八五三名)賭博四五五件(一二〇六名)の多数に上り又闇取引等による警察犯処罰令違反は一四六七件(一四八四名)もあつたが之を数年前と比較すれば犯罪の件数も目立つて減少し悪習悪癖の矯正、服装の改善、租税公課、家賃等の納付履行等何れも可なりの改善進歩を示してゐる、これは一つに協和事業の成果の現れであらう。

 次に職業別区分を示せば左の通りである。(昭和十五年末)

区分

東京

内地全体

 

区分

東京

内地全体

知的職業

九八一

三、五八九

 

土木建築業職工

六、九五〇

一四四、一二一

商業

六、三六三

六八、九九三

 

通信運輸業職工

二、五八六

一三、八五七

農業

一三

七、七一一

 

一般使用人

二、九九一

二七、九九八

鉱業

七八、〇二一

 

接客業者

四六六

四、九〇五

繊維工業職工

一、三八三

四一、三二三

 

失業者

四〇

四〇〇

金属及機械工業職工

五、三八九

五七、二一二

 

三一、〇四三

五〇七、二〇五

化学工業職工

二、七三二

四八、二五一

 

学生小学児童

二〇、四一〇

四〇、一八八

電気工業職工

三九九

三、一〇五

 

在監者

二一一

一、三三八

出版工業職工

四三七

二、四二八

 

無職(婦女子等)

三五、八三五

六四一、七一三

食料品製造工業職工

三一三

五、三〇一

 

合計

八七、四九七

一、一九〇、四四四

 以上有職業者中大部分は筋肉労働者で八〇%を占め商人階級者は一九%、知的臓業者は僅か〇・五%程度である。

 労働者階級―従前は所謂自由労働者が多く失業者が多かつたが最近では協和会の幹旋と時局の影響により失業してゐるものは殆どない状態である主として土工夫、生産工場の職工、雑役であつて日給二円乃至三円程度になるのて多少余裕の生じたものもある、生活状態は依然粗衣粗食に甘じ金を貯める事に急にして貧民的生活を続けてゐる、例へば夕刻市場に出掛けては青物、魚類の屑を集めて食する者もまだ相当にあるが協和会の指導により衛生思想も以前よりは多少涵養せられて来た又共済、医療の諸施設保護相談所も設けられおり比較的恵れたる状態にある。

 商人階級―大部分が小規模、小資本の個人経営乃至は二、三人の共同経営である、例へば飲食店、洗濯店、理髪店、古物店、雑貨商、反物商、薬品商、漬物会料品店等があるが大部分は半島人の密住せる方面で営業をしている。

 一部には主として内地人相手に商売してゐるものもある、これには比較的永住せる者多く従て相当の資産を貯へたものもある、彼等の営業振は内地人の趣味嗜好を研究し購買心を巧に捕へ手許資金は絶えず一杯に回転させ貯蓄といつても精々郵便貯金程度であり銀行は殆んど使用してゐない、一例を挙げれぱ三人兄弟で品川に海産物商を営んでゐる其の中の一人は鮮内にゐて内地人の嗜好に合ふものを買付けて居る、又万世橋に額縁商を営んでゐる金玉律氏ぼ在住二十年近くになるが内地人の趣味を多年研究し内地人の趣味に合つた意匠のものを作り現在では内地でも屈指の額縁商になつてゐる。

 知的職業階級―比較的公徳心に富み生活も内地化し内地の会社にサラリー生活を送つておる者も相当あり又協和事業の補導員となつて半島人の生活指導をしてゐるものも多少ながら居る。

 定住性に富み中でも二十年乃至二十五年も在住し現在では指導的地位に迄成功したものもある、例へば雑司ヶ谷で金田電気製作所の社長になつてゐる許象圭氏は主として逓信省の注文を受けてゐるが事変以来業績は目覚しく発展した、同氏は協和会支会の補導員をやつており自らも「今日の成功は一に補導員となつて一般の信用を得たからだ」と言つて居る、知名の士としては朴春琴外二名が衆議員議員として立候補してゐる。

 次に資産状況に就ては協和会当事者の推定によると大体左の通りである。

百万程度

一名

 

二十万乃至三十万程度

三〇名位

七十万乃至八十万程度

二ー三名位

 

十万程度

一〇〇名位

五十万程度

五名位

 

一万以上

五〇〇ー六〇〇名位

 右に関しては正確なる統計なきも実際はこれ以上であらうと言はれてゐる、而も朝鮮より移住せる時は大方は無資本であるのに十年乃至二十年の間にかゝる富を貯へ得たことは刮目に値する。

 而して貯蓄は協和会各支会の幹旋で大部分は郵便貯金を利用せしめ又貯蓄債券、報国債券の買入を奨励しておるがいずれも正確なる統計は得られないが昭和十五年秋軍用機献納基金を募集せるときの資料として警視庁内鮮課の調査による主なる者の資産状態を示せば次の通りであるが実際はそれ以上であらう。

氏名

出身

営業別

推定資産額 万円

摘要

中村旭東

京城府

会社重役

一〇〇

銀座カフエー、銀座劇場経営

金沢永三郎

全南

東洋ネームプレート社長

八〇

 

中村興烈

京城府

電球導入線加工業

七〇

 

金錫山

慶南

アスベスト製造工業主

五〇

葛飾区堀切

梅田重夫

慶北

土木請負業

五〇

西多摩青梅

朴春琴

慶南

鉱山業

三〇

本所区厩橋

金永根

咸南

機械工場主

三〇

葛飾区本田

朴李国

慶北

学生

三〇

中野区沼袋

金致道

慶南

自動車運輸業

三〇

荏原区小山

朴勝国

忠北

会社員

二〇

城東区南砂町

金東明

慶北

ヤスリ工場主

二〇

品川区五反田

許象圭

全南

電気器具工場主

二〇

豊島区雑司ヶ谷

裵福山

京畿

食料品販売業

二〇

神田区西神田

      四、教育状況

 他府県に比し非常に良好で高等教育程度の者は内地全体の約九〇%を占めてゐる、文盲者は内地全体では約半数を占めてゐるが東京はさすがに少なく三分の一以下である最近では朝鮮奨学会の活動と協和会の指導により学齢児童の就学状況は著しく良好となり又高等教育を修める学生も多くなつた。十五年末の教育程度は次表の通りである。

         半島人教育程度調(昭和十五年末)

区分

人数

内地全体

大学程度

二、二八九

二、五五四

専門学校高等学校程度

三、三〇二

四、〇七五

中等学校程度

六、七七四

一六、二五五

小学校程度

二七、〇三一

三九八、一四〇

三九、三九六

四二一、〇二四

文盲者

二五、九七一

六三九、〇二一

学齢児童中未就者

一、三〇九

四七、二六三

合     計

六六、六七六

一、一〇七、三〇八

 昭和十六年二月朝鮮奨学会が設立せられ主として専門学校以上の学生の指導、就学の奨励に尽力し来り学生の質も著しく向上した今迄は学生層に往々発生した思想問題による不祥事件も著しく減少した、従来の学生には不良分子多く例へば朝鮮の独立運動やマルクスの研究、共産主義の研究等をなすものが多かつたが当局の指導方針に深く省る所ありて最近は理工科方面に主力を注いでゐる。十六年末に於ける大学専門学校生徒は約九千人、中等学校生徒は約一万二千人に達してゐる右の中奨学会から学資金の補助を受けてゐる者が四〇名ある、卒業生の就職希望先は朝鮮内官庁、銀行、会社であつて内地の会社に就職を希望するものは殆どない、朝鮮内では何れも就職には原則として朝鮮奨学会の推薦を要するので学生の勉学も可なり真剣となり向上してゐる、朝鮮奨学会は未だ設立後一年余であるが其の間に就職を斡旋した学生は卒業生の約五〇%であつて官庁方面一五〇名、銀行一〇〇名、会社一〇〇名、学校二〇名の成繊を示してゐる何れも鮮内であり学生の殆ど全部が故郷に錦を飾り度いものゝ様である。

      五、東京府協和会の活動

  A、組織

   本部を東京府学務部牡会課内に置く

    会長    東京府知事

    副会長   府学務都長及警視庁内鮮課長

    常務理事  府社会課長

    顧問    警視総監及東京市長

   支会を各警察署区管毎に置く

    支会長   警察署長

    指導主任  警察特高主任

    指導員   警察内鮮係

    補導員   協和事業に関心深きもの

  B、経費

   諸事業施政に要する経費は一切府行政費として支出せられ臨時費として三井報恩会、服部報恩会等の社会事業団体の寄附金に依存してゐる。

  C、協和事衆の概要

   協和事業の根本精神は日本人になり切ると云ふことにある即ち朝鮮人の内地化皇民化と経済生活の改善向上を図り内鮮一体の実を挙げることが目的である、其の具体的方策として

1、精神作興に関する事項

国体観念の徹底、道徳責任概念の涵養、神棚の設置、国防献金、慰問袋の発送、傷病兵の慰問、勤労奉仕等

  2、風俗、社会生活改善に関する事項

朝鮮服の廃止、礼儀作法の改善、物資愛用、廃品回収、国旗の掲揚、祝祭日の行事、国債買入、冗費の節約、神社参拝、貯蓄の奨励等

  3、教育振奥に関する事項

学齢児童の就学、情操観念の徹庇、国語の習得、寄留届其の他諸手続の履行、優良青年の表彰、婦人講習会の催し等

  4、保護救済施設に関する事項

人事相談、紛争調停、予防注射医療の徹底、購買組合による共済施設、隣保施設、実費宿泊、職業紹介等

 協和会の事業は大体前記の通りである、支会は昭和十一年十ヶ所、十三年二十六ヶ所、十六年末は八十七ヶ所に増加し東京府全区に亘つてゐる、而して各支会では競争的に協和事業の促進に努め来つた為朝鮮人の時局認識と社会生活の向上とは其の成果見るべきものがある。

 殊に最近は皇軍慰問、恤兵献金、勤労奉仕、神社参拝等各支会は競争的に之を行ひ美談佳話の巷間に流布せられ銃後の感激を喚起したものも相当多い、国防献金は支那事変以来累計二十余万円、昭和十五年秋の軍用機献納基金は五十三万に上り予想以上の多額であつた。(東京は十万三千円である)

 又応召農家への勤労奉仕を軍人援護会、協和会、農会の主催で昨年秋より二回に亘り行つたが何れも好成績で参加人員は予定数を遥かに凌駕して八〇〇名に上り而も奉仕団は何れも真剣であり遺家族の中には感激の涙さへ流すものがあつた由である、而して日常の全部は之を国防献金する等半島人の愛国熱は大東亜戦下一段と高調を呈した又本年四月深川に隣保館が設立せられアパー卜式宿舎を提供する外更に教化講演、修養、訓練の道場たらしめ品性の陶治と生活の改善向上を図り保護相談所、医療設備をも同館に設ける等協和事業の成果は最近目覚しいものがある。

 前述せる如く半島人の東京に於ける人口増加は近年著しきものがあり一方時局を反映して経済力は一般に向上し他面協和事業の積極的促進により社会生活は一段と改善進歩を示し殊に時局認識の昂揚は大東亜戦下著しきものあり内鮮融和の実は次第に高まりつゝある現状であると言ひ得やう。

 

     愛知県在住半島人の現状

                                  名古屋支店

 愛知県下に於ける在住半島人の数は(イ)表の通り逐年増加の一途を辿り昭和五年末に二四、三六〇人、昭和八年末に三四、八一九人、事変勃発前年の昭和十一年末には五六、五一三人なりしが昨年末(昭和十六年)に於て一一六、一九四人を数ふるに至つた。

 尤も昭和十六年末現在数は生活物資の配給統制強化に伴ひ従来多かつた未届者及調査洩れの者が殆んど無くなつたために前年末に比し著しい増加を示してゐる。

 尚県下に於ける半島人が分布状況は(ロ)表に示す通り名古屋市を第一位として瀬戸市之に次ぎ以下県下一帯の地に亘つてゐる。

 名古屋市に於ける半島人人口は昭和十六年末に於て五六、一五七名であるが此の中大半は労働者層に属し主として市の外廓地帯に集団的に住居してゐる者が多い。

 (イ )県下在住半島人増加趨勢〔協和会調〕

年次

昭和五年

一五、七〇〇

八、六六〇

二四、三六〇

同 六年

一七、六八五

九、一一五

二六、八〇〇

同 七年

一八、八一六

一〇、二七一

二九、〇八七

同 八年

二二、三〇九

一二、五一〇

三四、八一九

同 九年

二五、四六一

一六、九三五

四二、三九六

同 十年

二九、一一一

二二、三五〇

五一、四六一

同 十一年

三一、七八一

二四、七三二

五六、五一三

同 十二年

三三、四五八

二六、七六九

六〇、二二七

同 十三年

三三、八七一

二七、七八三

六一、六五四

同 十四年

三七、四八四

二九、五五七

六七、〇四一

同 十五年

四三、三八九

三四、五六二

七七、九五一

同 十六年

七八、六六〇

三七、五三四

一一六、一九四

(ロ) 県下在住半島人人口分布表 (昭和十六年十二月末現在協和会調)

名古屋市

五六、一五七名

 

豊橋市

六、九三二名

瀬戸市

一一、七八五名

 

其他郡部

三四、一四三名

一宮市

三、五六六名

 

合計

一一六、一九四名

岡崎市

三、六一一名

 

 

 

今県下在住半島人を職業別に細別すれば左表の通りである。

(ハ) 喧嘩在住在半島人職業別人口表(昭和十六年十二月末現在協和会調)

職業別

有識的職業

 

 

 

 官公吏

-

 語学校教師

-

 牧師僧侶

一一

一二

 医師弁護士

-

 記者、著述業、芸術家

-

 事務員

七五

八四

 其他

一五二

-

一五二

小計

二五五

一〇

二六五

商業

 

 

 

 普通商人

四五一

九〇

五四一

 露天商人及行商人

二、二一二

六三三

二、八四五

小計

二、六六三

七二三

三、三六八

農業

 

 

 

 自作農

 小作農

一四九

一一五

二六四

小計

一五〇

一一六

二六六

漁業

一〇

-

一〇

鉱業

 

 

 

 坑内労働者

二三一

二三四

 坑外労働者

一一六

七二

一八八

小計

三四七

七五

四二二

工業

 

 

 

 繊維工業職工

一、三〇一

二、一四一

三、四四二

 同   雑役

四一一

五七九

九九〇

 金属工業職工

二、九二九

二二三

三、一五二

 同   雑役

六八五

一七一

八五六

 硝子工業職工

四〇六

七二

四七八

 同   雑役

七六

五〇

一二六

 化学工業職工

一、三七〇

九七五

二、三四五

 同   雑役

四八二

三七六

八五八

 電気工業職工

五〇

一〇

六〇

 同   雑役

 出版工業職工

三八

四一

 同   雑役

 食料品製造工業職工

一九〇

三五

二二五

 同   雑役

二六

三五

小計 職工

六、二八四

三、四五九

九、七四三

雑役

一、六八九

一、一八八

二、八七七

土木建築業

 

 

 

 土工夫

二九、三一二

二九、三一七

 其他

一〇、八三四

一八一

一一、〇一五

小計

四〇、一四六

一八六

四〇、三三二

交通通信運輸業

 

 

 

 通信労働者

-

鉄道軌道従業者

二九

-

二九

 自動車運転手助手

六〇一

-

六〇一

 仲仕

一、九四二

-

一、九四二

 其他

五二一

五二三

小計

三、〇九九

三、一〇一

一般使用人

 

 

 

 店員丁稚

一九五

二〇四

 農夫

一三八

三七

一七五

 漁夫

一一

-

一一

 家事其他使用人

二八一

二一三

四九四

小計

六二五

二五九

八八四

其他労働者

二、七八六

八四二

三、六二八

五四、九七六

六、〇一一

六〇、九八七

接客業者

九四

一二二

二一六

其他有業者

八〇〇

一、〇九一

一、八九一

失業者

学生生徒

三八四

五三

四三七

小学児童

七、二一〇

五、七九七

一三、〇〇七

在監者

三二

-

三二

無職世帯主

四五五

九六

五五一

無職従属者

一一、六三〇

二三、五一四

三五、一四四

合計

七八、六六〇

三七、五三四

一一六、一九四

即ち男子人口の八割以上は筋肉労働に従事するもので最近は工場労働者として進出を見せては居るが大半は士工夫並に之に類似の労働に従つて居り一般的には教養も無く生活程度も低い、然し日支事変勃発以来国内産業の飛躍的発展に伴ひ各種労働部門が要求する労働力に対し半島人労働者の提供する労働力は戦時下重要なる役割を果しつゝあることは贅言を要しないところであるが最近労賃の高騰と時局認識に基く半島同胞の国民的自覚は彼等の経済的並に社会的地位の向上となつて現はれてゐるに拘はらず彼等の大部分が内地に永住の意志なき為と好んで自由労働に従事する傾向は浮動性多き原因をなして居り戦時下国内労働力の確保と云ふ見地から頗る遺憾とされてゐる。

之が移動阻止に関しては協和事業を通じて種々補導指導の施策が行はれ漸次効果を挙げてゐるが猶此の傾向は顕奢である。

最近労働賃銀は一日四円乃至五円位と謂はれ就労日数が休養又は雨天等の為制約せらるゝとしても経済的に向上を見つゝある事は明かである、然も低位の生活程度に甘んじてゐる為貯蓄能力も増加したと謂はれてゐるが国民貯蓄組合結成による隣組貯金は各戸に於て励行せられて居り又之とは別個に協和会指導の下に部落懇談会を通じて節約運動が提唱され貯蓄の奨励が行はれてゐる。

貯蓄の方法としては郵便貯金に依るものが大部分であるが之は彼等の知つてゐる貯蓄機関は郵便局のみであらうし且郵便局は市内各所に存在し彼等にとつては地理的に最も便利で且零細な金銭の出入には最も利用し易いと云ふところに郵便貯金に集る理由がある。

この外月掛貯金をなすものがあり更に生命保険、簡易保険或は無尽等に加入するものがあると云ふことであるが内地在住半島人労働者が簡易保険の如き長期の預金をなすに至りたるは興味ある傾向と云はれてゐる。

 当店としては直ちに之等労働者層の余剰購買力を吸収して預金として取入れることは困難であるかも知れぬが更に実状を調査して国民貯蓄組合預金の取扱或は月掛貯金式の集金制実施の可否等貯蓄国策の建前から又彼等を善導することにもなるので考究の余地ありと思惟するものあでる。

次いで商業に従事する個人営業者の中其の九割近くは露天商人又は行商人であつて人参販売、菓子類販売、屑買及雑品販売等を業としてゐる、之等は何れも小規模のもので零細な利益を得て生計を維持してゐるものである。

一般に個人営業者は統制関係から商品の仕入が窮屈となり最近は細々と営業を続けてゐるものが多い。

綿布加工、菓子製造等を業とし十万以上の財をなせるもの二、三あり又鉄工所を経営して同じく十万以上の資産ありと称せらるゝものも三、四あるが一般的に教養も低く資力も少いものが多いので信用も薄弱なため銀行を利用し得る程度のものは極めて少い実状である従つて専ら民間の金融業者より高利の金融を仰ぐ結果営業を継続する事が困難になり業半ばにして挫折するものも多いと云ふ事である。

斯かる次第で在住半島同胞で銀行と取引してゐるものは極めて僅少で小部分のものが預金、国許送金及為替決済等に銀行を利用してゐるに過ぎないのである。

之等半島人商工業者に対しては資金上の援助をなし得ざる場合でも金融経済に関する蒙を啓発し之が指導をなす必要があるのではないかと思ふ、我々は出来得る限り在住半島同胞と接触の機会を多くし相互に信頼の念を深むることに努めやがて半島同胞の社会的並経済的地位の向上に役立て引いては銀行との取引増進を期すべきものと思ふ。

尚有識的職業に従事する者、農業又は漁業を営む者及一般使用人等については其数も少く特に取立てゝ云ふ事も無い様である。

然し茲に特記したいのは支那事変勃発以来在住半島同胞の皇国臣民としての赤誠は時局下国民精神の昂揚と相俟つて国防献金に慰問袋の献納に或は勤労奉仕に真情を披瀝しつゝあることである。

其の献金額は次の通りであるが事変の進展につれ誠に著しいものがある。(協和会調査)

 一、支那事変勃発より大東亜戦争開戦迄金七四、九七五円也

 一、大東亜戦争開戦より本年二月末日迄金一七、五九六円也

此の外自動車一台及慰問袋一、二六七個の献納がある。

尚教育並に宗教状況を簡単に附記したい。

在住半島人の学齢児童に対しては当局の奨学方針が徹底し現在では特別の事情ある者を除いては殆ど就学し左記就学推移表が示す通り極めて良好なる成績を挙げてゐる。

 (ニ) 就学推移表(協和会調査)

 

昭和十年度

昭和十一年度

昭和十二年度

昭和十三年度

昭和十四年度

昭和十五年度

就学者

四、二三一

五、四四〇

六、三〇六

七、一八一

八、八三一

一〇、九七八

未就学者

三、八七三

二、八三一

二、三三九

一、八一一

一、六三六

一、四四九

就学率

五二%

六五%

七三%

八〇%

八四%

八八%

一般に就学者は向学心に燃へ初等科を終へたるものは上級学校又は高等科へ進学を希望するものが大半を占むると云ふ事である。

昨年十二月末協和会調による半島人小学児童数は一三、〇〇七名、中等学校以上の学校に在学するもの四三七名此の中専門学校生徒二五名、大学生三名と云ふ状態である。

此の外学齢児童以外の未だ教育を受けたることなきものに対しては名古屋市を始め瀬戸市、一宮市等の各市に於て市並に協和会が主催して国語講習会を開催し或は補助機関を設置して補助教育を実施してゐる。宗教に付ては在住半島人の大半が無産無識層である為宗教に関しては無関心な者が多い。

旧朝鮮基督教系の教会及伝導所が名古屋市に四ヶ所、瀬戸市及岡崎市に四ヶ所あつて伝導に従事してゐるが、信者の数は極めて少い。

基督教の外に仏教も僅に行はれてゐるが其の勢力は亦微々たるものである。

 

    大阪府在住半島人の活動状況

                                  大阪支店

       一、概説

大正元年大阪府下在住朝鮮人は二百四十余人なりしが昭和十六年十二月末現在に於ては之が四十余万人に激増し全国百二十万の三分の一を占むるに至れり。

当初は数も少なく単に治安取締の対象となるにすぎず、行政上も殆んど放任の状態なりしも大正十二年関東大震災に際し当局も深く顧みる所あり同年十月大阪府行政の機関として内鮮協和会を府社会課内に設置警察署管区毎に之が支会を置き警察署長支会長として之に当り同時に府警察部特高課に内鮮係を置き協和会と協力して経済生活の向上、精神指導等により内地生活様式への順応を根本目的として、其指導育成に当り来り、鮮人自体の自治的団体は一切之を認めずひたすら官治行政に努力し来りたる処最近に於ては大いに効果上り治安状態に何等懸念なきのみならず、経済、社会生活上に於ける内鮮融和の実に見るべきものあり。

要するに以下述ぶるが如く大阪府下在住朝鮮人が其社会生活、経済生活上比較的恵まれたる状態にあり、且其活動に見るべきものあるは一に協和会、警察等行政機関の終始変らざる熟心なる指導育成宜しきを得たる所に負ふ所多く之は恰も朝鮮に於ける総督政治の其に類似するものあり。

      二、協和会の活動

本部を大阪府庁に置き知事を会長とす。

支会は市内各警察署官区毎に合計三十ニケ所、市外二十二ヶ所、総数五十ヶ所を有し警察署長を支会長とし之が指導に当る。

協和会事業の根本目的を朝鮮人の内地化、皇民化におき経済生活の安定、社会生活の向上に勉む。

即社会生活に於ては朝鮮服の廃止、内地服の着用、国語の習熟を第一歩とし其他主な行事を挙ぐれぱ次の如し。

1、市内十一ヶ所、市外一ヶ所に隣保館と称する公衆の集会場を設け

2、指導員、中堅婦人の養成のための講習会を開き或は大政翼賛指導講和会を開く

3、優良青年を選抜して軍事訓練或は宿泊生活訓練をなす

4、模範指導員青年の表彰

5、保育事業として子弟の就学奨励

  神社参拝、記念日の講和会、正月、雛祭、端午、七夕等の行事、映画の会、家庭訪問

6、諸種相談斡旋

7、住宅を中心とする隣組指導

8、職員、青年部員の朝鮮視察

等々の文化、社会生活方面の指導育成

又経済生活の安定向上方面に於ては後記経済活動の項の如く其財力は大いに見るべきものあり消極的には

1、職業紹介

2、人事相談

3、実費宿泊

4、巡回救療

積極的には貯蓄奨励、予算生活の導入、勤勉努力の気風養成等大阪府協和信用購買利用組合の活用等あり、其結果今日、経済的に救済を要する者殆んどなく経済生活に関する限り満足すべき状態にあり、延ては之が治安の確保に好成績を収めおれり。

而して以上諸施設に要する費用は一切府行政費として支出され臨時費は三井報恩会其他社会事業団体の寄附金に依存す、試に其経費を見るに大正十三年円常費、二八、六○○円 臨時費八二、三〇〇円、合計一一〇、一〇〇円なりしものが昭和十六年度は経常費三一〇、○○○円、臨時費三六〇、〇〇〇円、合計六八〇、〇〇〇同に激増している朝鮮人の経費負担は今日の所殆どなし。

      三、人口状態

1、昭和元年以降の分を示せぱ次の如し

昭和元年

三五、二二九

年平均一万余人の増加

同 六年

八五、五六七

同 七年

一一八、四五六

年平均三万余人の増加

同十一年

二二四、七四九

同十三年

二四一、六一九

年平均三万五千人

同十五年

三一二、一四一

 

 

 

 

 

 

而して十六年末四〇〇、六五六人、五一、八八三戸となり其八〇%は市内在住なり、十五年末より十六年末に至る。一ヶ年は九万人の激増振であるが之は切符制施行により従来調査洩の者が加はりたるによる増加は自然増加と移動流入があるが流入経路は朝鮮人渡航制限の結果他府県経由の者多し

2、之を出身地別に見るに

全南

一三〇、八〇三

黄海

六、六五八

全北

三六、二四四

 

江原

六、七三三

 

慶南

九九、七五四

 

平南

六、七一〇

 

慶北

五六、四〇一

 

平北

五、九四〇

 

忠南

一五、三七一

 

咸南

五、八四六

 

忠北

一四、〇六六

 

咸北

五、四三八

 

京畿

九、六九二

 

 

 

 

 地理的関係上、中南鮮出身者が大半を占め就中済州島出身が最も多く済州島経済は大阪の国元送金に依る所が多いと謂はれる。

       四、経済状態

A、職業別 

  1、牧師、事務員、教師等の有識階級     一、三九二人

  2、商業、菓子、屑拾、其他雑業      一三、九八七

  3、農業                    四〇一

  4、漁業                      七

  5、鉱業                     一〇

  6、繊維工業関係職工           一七、六三七

  7、化学工業関係職工           二六、八四一

  8、金属機械工業職工           五九、二二九

  9、電気事業関係職工            四、五七四

  10、出版関係職工              一、五五三

  11、食科品関係               二、一六一

  12、土工                 三〇、七五七

  13、交通、通信関係             五、五OO

  14、仲仕                  五、四三八

  15、店員、家事使用人           一一、六四六

  16、接客業者                  七七一

以上によれば職業は概ね健全なる職工労働者が大部分を占め接客業者、自由労働者等不健全職業者は非常に少い。

右は協和会の職業紹介等組織的活動の結果による所が多い

半島人職工は一般に好能率、手先の器用等の長所を有するが反面僅かの賃銀の差による移動性が強く或は収入あれば仕事を休むが如き欠点を有し之等の教化には協和会でも手を焼いてぃる趣である、尤も労務手帳制実施後は余程移動が少なくなつた。

B、経済力

以下に付ては正確な統計なきため協和会当事者の推定によるものであるが現状財産状態は

  四、五十万程度の資産者       三、四名位

  同十万円以上            二○名位

  同一万円以上            五、六百名位

に達し此外年々の国元送金四、五百万円を下らず、済州島のみでも年百万円を超ゆると謂はれる。

 預貯金は協和会指導の信用組合扱の預金が昭和十六年末現在に於て

定期預金            五二、一六二円

  積立貯金           一六六、六三〇

  普通貯金            八二、五五八

  特当             一〇一、二七八

   合計            四〇二、六二八

あり此外個人の郵便貯金、貯蓄銀行預金は之も推定にすぎないが五百万円を下るまいとのことなり。

目下最長の滞留者は二十四、五年、多くは昭和七、八年以後の者にすぎないにも不拘僅か十数年間に如斯財力を蓄へ得たるは実に驚くべきことなり。

然し一面金を貯めるに急にして生活に計画性、定着性なく或は早く金を貯めて故郷に錦を飾り度いと云ふ気風が抜けず自ら日常生活が旅の恥はかき棄てと云ふが如き傾向に堕し易く折角の指導保育も馬耳東風となる傾向のあることは遺憾であり此点が根本的に改まらざる限り其の内鮮一体の実はあがらざるべしとのことなり。

    神戸在住半島人の活動状況

                                 神戸支店

神戸市に於ける半島人人口は昭和十四年末現在に於て三五、〇三八人で世帯数五、八九五世帯を構成するもの二七、三〇五人世帯を構成せざるもの七、七三三人で内地全体から見れば大阪、東京に次ぎ第三位であるが兵庫県下に於ける半島人は一〇三、九八〇人で大阪府に次ぐ全国第二位で其大部分は神戸市内、阪神沿線及神姫沿線に居住して居る而して神戸市内に於けるその分布状態は半島人の職業が殆んど労働者である関係上市内の東部と西部に於ける工業地帯である葺合区と林田区とが圧倒的に多くこの両区で全体の七割以上を占めて居り次で須磨区、灘区、兵庫区、湊区.湊東区、神戸区の順序となつて居る特に葺合区に於ける神若通、国香通、若菜通、割塚通、筒井町、脇浜町、北本町、林田区に於ける梅ヶ香町、東尻池町、西尻池町、苅藻通等に於ては半島人独特の低級雑然たる密集部落を形成して居る此等在住半島人の出身地方は朝鮮全道に亘つて居るが地理的原因により内地に最も近き慶尚南北道が最も多く全羅南北道之に次ぎ此等南鮮地方出身の者が総数の九割以上を占めて居る、之は北鮮地方の半島人は同じく地理的理由から内地へ移住し来るよりも満洲、支那への移住が昔から行はれたゝめである。

此等在住半島人は如何なる生活状態にあるであらうか先づ職業について見るに残念乍ら最近の統計数字は得られないので茲に昭和十一年神戸市社会課が市内半島人世帯三、九二一に就いて調査したもの中から主なるものを表示すれば左の如くである。

    職業           人員      百分比

   土工            八〇七     ニ一・一四

   仲仕            六〇六     一五・八八

   化学製品製造に従事する者  三四四      九・〇一

   物品販売業         二一三      四・八五

   行商人           一二六      三・三〇           .

   機械工業職工         七四      一・九一

   荷車挽            五三      一・三八

   自動車運転手及助手      五二      一・三六

   飲食業            三六      〇・九四

   其他          一、五〇六     三九・五〇

      計        三、八一七    一〇〇・〇〇

 即ち土工、仲仕、化学製品製造に従事するもの.物品販売業、行商人、機械職工の順となつて居るが之は支那事変前の数字であつて、今日に於いては土工が首位を占めるのは変りないが機械工業職工、仲仕の順位であると謂はれる、半島人の内地移住の目的は出稼であり生活難打開の為め容易に生活の資を得る方面に職を求むる関係上屋外の自由労働者である土工、仲仕等が多数を占めているのは当然であるが支那事変以降は多数の応召者と軍需工業の設置に伴ふ労働者の払底に因り此の方面に於ける半島人労働者の需要は増大し、常に職を追つて移動する彼等の移動性と相侯つ て軍需工業への転出が増加して居るのは想像に難くないのである。

次に収入状態を昭和十四年協和会灘支会がその会員二、五七七名に付収入を調査したものについて見るに次の通りである。

送金額

五円以下

一〇円以下

二〇円以下

三〇円以下

四〇円以下

五〇円以下

七〇円以下

人員

一、三二三

四六八

五四一

二一四

一四

二、五七七

百分比

五一・三四

一八・一六

二〇・九九

八・三〇

〇・九三

〇・一六

〇・〇八

〇・〇四

一〇〇・〇〇

貯金額

五円以下

一〇円以下

一五円以下

二〇円以下

二五円以下

三〇円以下

 

人員

二、〇九〇

二四一

一五五

五九

二二

 

二、五七七

百分比

八一・一〇

九・三五

六・〇二

二・二九

〇・八五

〇・一三

〇・一六

 

一〇〇・〇〇

右表は調査の前月に於ける送金並貯金を調べたもので即ち二、五七七名の一ヶ月に於ける送金及貯金状態である送金の方は所謂出稼が多く郷里に妻子を残して来たものがある関係上相当見るべきものがあるが貯金状態は貯金せざるもの八一・一〇%で殆んど無いと云つてよい、元来半島人は現金退蔵の性質があるのと無数育者が多いので金融機関に対する認識を欠き協和会に於ても貯金の必要を力説先年組合貯金を奨励したが移動性が激しい為め結果は芳しくなかつたが最近は郵便局の集金貯金を利用せしめ且適当なる時期に貯金の払戻をなし現実に現金を彼等の手に握らせ以て彼等の不安を解消し金融機関に対する認識を深めしむる等当局の熟心なる教導により漸次相当な成績を挙げつゝある由である、然し乍ら今日に於てすら未だに時々密集部落の火災跡より千円、二千円と云ふ現金が発見せられる由である在住半島人を銀行の対象とし之に対して預金勧誘に努め或は国許送金に利用せしむるには実情は余りに懸隔があり過ぎる様に思はれる、事実当店の半島人取引先は僅に特当に於て十五人、金額一、五五一円五九銭(二月二十二日現在)送金関係に於て一月中取扱仕向送金六口金額二、四〇〇円、被仕向送金六口金額九、二○○円に過ぎないのも又致方なく彼等に対しては銀行よりも寧ろ郵便局の利用を奨め以て其の生活の安定向上を計らしむる可きであらう。

 以上の如く当地在住半島人は大部分南鮮地方に於ける農村出身者にして出稼を目的として文字通り裸一貫で渡航し来り来神後は工場地帯たる林田或は葺合の両区へ集り此処に其の生活の本拠を定め土工、仲仕、機械職工等となりて労働に従事して居るがその賃銀は低廉であり且無教育により道徳的概念の低級及特異なる風俗習價は内鮮融和を妨げ其の生活の安定向上に大なる障害となり渡来前に企図したであらう如き生活を送るものは極めて僅少であるが日常粗雑なる生活に甘んじ戦時下労働市場に大なる貢献を為しつゝあるが実情である。

 然し乍ら支那事変特に大東亜戦争勃発後は皇軍の赫々たる戦果に相呼応して在住半島人の指導的地位勢力を占むる青年層が中心となり半島人は常に内地人より劣位に置かれ差別待遇を受けつゝあると云ふ従来の曲解を是正し時局の認識に努め積極的に内地人と相和相協力して真に皇国臣民たる自覚の下に国防団体の結成、神社参拝、時局講演会の開催、国防献金、国債消化等の各種の銃後愛国運動を振起し奉公の誠を致しつゝあり、大東亜戦争勃発以来十二月三十一日迄に在住半島人の国防献金は百口参加人員二千三百四十八名金額七千三十三円六十一銭の多きに及んで居る以てその熱意の程が窺知せられるであらう

附記 本調査は主として兵庫県協和会提供の資科に基きて記述したが残念な事には最新完全なる統計的数字を得られず引用した数字は少しく古く部分的であり物足らぬ感があるが(同協会に於ては目下昭和十六年末現在県下在住半島人に配布記入せしめた可成詳細な項目よりなる調査カードを集計中で三月末迄に集叶を終り四月中に完成の予定である)此点は燃ゆるが如き熱意と感激を抱き半島人の中に挺身突入して親しく彼等の保護善導に当って居る委員の話を以て補つた。