『酒と女は昔の夢物語 今ぢや立派な翼賛戦士』1941年(昭和16年)3月1日 長崎日日新聞
農閑期勤労奉仕隊の声を聞くため端島を訪れた記者リポート続編。「寄宿舎は鉄筋コンクリートの九階建の立派なものだし副食物もよし娯楽設備も一通り揃つてゐるし農村等では夢にも見ることの出来ない文化生活をやつてゐる」と証言。一方、長年勤めた坑夫は、「端島に移りまして既に十八年になりますが、当時の端島もまだまだ監獄部屋の域を脱せず、血睲いことが毎日続いてゐました。今日の様な端島になったのは20年位前から、会社が労務者の娯楽施設に力を入れるやうになつたからです」と炭坑の近代化について述べている。世間が抱く炭坑労務者と実際とのギャップについても語っている。
長崎日日新聞(1941年<昭和16年>3月1日)
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- 資料提供:国立国会図書館
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農閑期勤労奉仕隊-レポルタージュ―
酒と女は昔の夢物語 今ぢや立派な翼賛戦士(中)
高石君(喜々津靑年) 初めて家を出たものだから故郷が戀しくて歸りたかつた
山崎君 初めて入坑した時ハツパ(石炭崩れ)の音には恐ろしかつた
記者 農業と炭坑労働はどちらが苦しいか
一同 仕事になれない苦しみはあるが肉體的には苦痛とは思はぬ
記者 奉仕の期間を終へて歸省したら他の靑年達に炭鉱の実際を話して再び奉仕隊を組織する考へがあるか
山崎君 是非そうしたいと思ってゐる
向井君 都合がつく者は是非来なければならぬと思ふ、しかし石炭の増産をせねばならない、一方農産物の増産を圖ることが國策であるから農村労力の中心である青年として無理をしない程度にやらねばならないと思ふ
記者 仕事は楽だと云ふが經濟的にはどうか
一同 我々は勤労奉仕隊員であつて、お國への忠義だと思ひ慣れない仕事ではあるが喜んで従事してゐる、決して金に目がくれて出て來たのではない
記者 何か仕事の上で希望してゐることはないか
山崎君 仕事が請負ひ□□□□□てゐる爲に炭を入れ□□□□□るのに苦勞してゐるが、これ等は順番制にして貰へばと慾ではあるが望んでゐる
犬塚君 高石、中路、石場の三君共年が滿十六歳に達しないので坑外作業しか出來ないがどうかして坑内で働かして貰ひたいと思ふ
兵庫坑長 これ丈は法律ですから何ともすることが出来ませんね
入江縣職業課長 坑外でも坑内でも勞務者達は目上の人に對して軍隊式に規律正しく學手の體をやつてゐるがどう思ふか
一同 農村等ではとても見ることの出來ないうれしい姿でこれが恐ろしがつてゐた勞務者であるかと思へば濟まない氣がする
記者 何か他に感じたことはないか
向井君 寄宿舎は鐵筋コンクリートの九階建の立派なものだし副食物もよし娯樂設備も一通り揃つてゐるし農村等では夢にも見ることの出來ない文化生活をやつてゐる
記者 勤勞奉仕隊の方の御話はこれ位にして今度は臣道實踐自治委員會の役員の方の御話をうかゞひたい、先づ最初に自治委員會とはどんなものですか
兵庫坑長 炭坑の監督機關としてつくつたもので所謂隣組制度により勞務者間の融和を圖ると共に會社と勞務者の間にあつて下情上通上意下達の實をあげやうと云ふのである
勿論全勞務者が委員會の一分子であつて委員は各職場の中堅人物やアパートの隣り組長、獨身寮の室長等がなつてゐる、この委員會が出來たのは昨年の十二月十八日でその後每月第一日曜日に各寮別の委員會を開き療養や娯樂についての計畫を樹てると共に仕事の研究をなしてゐる 更に十八日には全島の委員會を開き翼賛會の役員の方や職業指導所長、陸海軍當局の方、或は學校の先生等を講師にして種々御話を伺ひ時局下に於ける炭坑勞務者の心構へを昂揚する事につとめてゐる總てが自治制になつてゐるので不平を云ふ者もなく最近は炭坑につきものゝ怠業や無斷中途出坑轉業等をする者も少なく、あらゆる方面に好結果をもたらしてゐる、□で貰つた成績優秀の賞金や休日の勤勞によつて得た給金を國防献金すると等とても昔の炭坑勞務者ではない
記者 ではその實際をお聞きしたいが、先づ長く炭坑につとめて居らつしやる方から昔の勞働者と今日の勞働者についてお話て貰ひたい
兵庫坑長 入江君は端島だけで二十三年□□□のだから相當面白い話をもつてゐるだらう
入江儀八君(島原市出身現在高濱村々□會員) 思ひ出せば二十三年の昔、靑春の血が燃えさかる頃でした、都會に出て一旗あげやうと決心し、先づその旅費稼のつもりで炭坑に入つたのですが、つひ興味が出て最初の希望もどこへやら今日になつてしまひました、私が最初來た當時の炭坑勞務者と云ふのはそれこそ世間が云つてゐる通り賭博と酒と喧嘩でその日その日を送り、冬でも着物をもつてゐる者は極まれで、殆んどが會社から借りた蒲團を身にまきつけて過すと云つた状態でした、それにくらべて現在の勞務者は一通り着物から洋服まで取揃へてゐます、勿論賭博などする様な者は全然ありません
藤井勞務主任 入江君は今度政府から優秀勞務者として表彰されたのですが、それについて是非感想をきかして貰ひたい
入江君 炭坑勞務者となつて二十三年にもなるがよい事一つしてゐないのに政府の表彰を受けて寧ろはづかしい位です、しかし今まで闇の社會人だと世間から見られてゐた我々勞務者が一般社會人なみに政府から表彰されたと云ふことは我々勞務者に大きな希望が興へられたわけで皆人事ならず喜こんでゐます
國策の産業戦士として時局下にうかび上つた勞務者達の喜びは眞劍である
記者 他に長く勤めてゐらっしゃる方があれば其の方に御願ひします
櫻井金作君(廣島市出身) 炭坑勞務者として働くこと既に三十一年初めは高島につとめましたが當時は賃金も安く四十八錢から最高九十錢位で設備なども全然出來てをらず天秤棒にかついで炭を運んだものです、肩は痛いし或る時は仕事が出來ないと云つて同僚から打たれたことも一度や二度でなく泣いて過ごして來ました、この制裁に耐えきれない者が例の“島抜け”と云つて見張りの者が知らない隙に酒樽を身體につけて泳いで逃げ出したものです、その後端島に移りまして既に十八年になりますが當時の端島もまだまだ監獄部屋の域を脱せず血腥いことが每日續いてゐました、今日の様な端島になつたのは二十年位前から會社が勞務者の娯樂施設に力を入れるやうになつたからですしかしゆがめられて通つて來た勞務者の心をほんとうに蘇らして呉れたのは事變の力です、やはり勞務者も日本人ですからね
記者 櫻井さんは一寮の寮長をしてゐらつしやるそうですが寮の指導方針はどこにおいて居らつしやいますか
櫻井君 指導方針と云へばおこがましいが先づ融和を圖ることが第一で家族的な氣持をもつて意思の融和につとめてゐます、その方法としては隣組組織でやることが最も効果があるやうです 私は二年七ヶ月寮長をしてゐますが最初からこの氣持でやつて来た爲今日では勞務者自身の生活も向上されて來たし炭坑から炭坑へと渡りあるく者もなくなりました、やはり勞務者の多くは世をすねてゐる者が多いのですから暖かい心をもつて指導すれば愛に飢えてゐる者丈に普通の人よりも早く打ち解けることが出來ます、私はこのほかに勞務者のわたり歩きを防止する爲花嫁さんの御世話をしてゐますが島には女が少ないので思ふ様に出來ません
入江県職業課長 それはなかなかよひ思ひつきですね産めよ殖やせの國策にも副ふことだし……