【NHK宛】抗議書兼要求書(R2.11.20)

令和2年11月20日、「真実の歴史を追求する端島島民の会」は代理人を通じて日本放送協会に抗議書兼要求書を提出いたしました。

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抗議書 兼 要求書

令 和2 年 11月 20 日 

東京都渋谷区神南 2 丁目 2 番 1 号

日 本 放 送 協 会 

会 長 前田 晃伸 殿 

 

通 知 人 真実の歴史を追求する端島 島民の会

通 知 人 代理人 

大 阪 市 中央区今橋四丁目 3 番 6 号 

            淀屋橋 N AOビル 9 階

 弁護士法人トラスト&サービス

TEL 0 6 - 6 2 29 - 88 11

 F A X 0 6 - 6 2 29 - 1 2 0 0 

弁護士 北浦 一郎 

 

謹啓  時下ますますご清栄 の こ と と お 喜 び申し上げます。 

 

謹白

 

当職 ( 護士 北浦 一郎)は 、「真実の歷史を追求する端島島民の会」(以下 「 島民 の会」といいます。) の 代理人として、日本放送協会殿(以下「NH K殿」 といいます。)に対し、本書( 抗議書 兼 要求書) を呈 し ます 。

 

島 民 の 会 は 、 長 崎 市 端島 ( 以下 「 端島 」 と い い ま す 。 な お 、 「 軍艦 島 」 の 呼 称 で も 知 ら れ て い ま す 。 ) の 旧 島 民 、 そ の 子 孫 親 族 を 会 員 と し て 、 端 島 が 1 97 4 年 ( 和 4 9 年 ) に 無 人 島 に な る ま で の 間 、 端島で働 き 、 又 は 、 生 活 し て い た旧 島 民 が 、端島にお け る 真 実 の 歴 史 を 確 認 し 、 端島 の 実生活を後世に 正 し く 伝 承 す る こ と 、 及 び 、端 島 の 実 生 活 を 通 じ て 、 自ら が 体 験 し た 事実 又 は 自 ら が 保 有 す る 資 料 等 に 基 づ き 、 正確に 、 端 島 に お け る 旧 島 民 の 実 生 活 を 広く 国 内 外 に 発 信 す る こ と 等 を 、 目 的 と し て お ります。 

 

かねてよ り 、 端島 で 、 戦時中 ( 太 平 洋 戦 争 中 、 以 下 同 じ ) 、 朝 鮮 人 炭 鉱 夫 及 び そ の 家 族 ( 小 学 校 の 同 級 生 等 、 朝 鮮 人 の 幼 児 や 学 童 を 含 み ま す 。 ) が 、 奴 隷 の よ う に 、 日 本 人 炭 鉱 夫 及 び そ の 家 族 と は 差 別 さ れ て、過 酷 な 労 働 環 境 や 生 活環境 の 下 で 、 日 本 人 か ら 労 働 を 強 制 さ れ 、 あ るいは 、 虐 待 を 受 け て い た な ど と い う 、 当時 の 端 島 の 実 体 と は 全 く か け 離 れ た 事 実 無 根 の 虚 構 に 関 す る 

書籍 、展 示物 、運動家の 活動 、及び 、斯様な虚構を 旧島民に確認する ことなく、無責任に も 、 そ の ま ま 広 く 公 に 伝 播 さ せ て き た 一部 メ デ ィ ア の 報 道 等 が あ り ま し た 。

そ れ ら に よ り 、 島 民 の 会 の 会 員 か 否 か にか わ ら ず 、 旧 島 民 の 各 人 は 、 端 島 で、 朝 鮮 人 炭 鉱 夫 及 び そ の 家 族 と 共 に 、 人間 として、正しく 働 き 、 楽 し く学 び 成長し、真面目 に 生 き て き た 誇 り や 自尊 心 を 踏 み潰さ れ 、 多 大 な 精神 的 苦痛 を 受 け て きま し た 。

 

特に 、 2 0 1 5 年 ( 平 成 2 7 年)7月、 ュ ネ ス コ で 明 治日本の 産 業 革命遺 産 が 登 録 さ れ た 以降、 端 島 に 関 す る 虚構 の 拡 散 は 過 熱 し 、 旧 島 民に と つ て は 、 最 早 、看 過 で き な い 状 況 と って い き ま し た 。 

 

旧 島 民 の 有 志 は 、 端島 に 関 す る 虚 構 を 内 容 と す る 書 籍 、 展 示 物 、 運 動 家 の 活 動 及 び 一 部 メ デ ィ ア の 報 道 等 を 通 じ て 、 端 島に関 す る 誤 解 や 悪 名 が 拡 散 し て い る 状 況 及 び 斯 様 な 状況 が 悪 化 の 一 途 を 辿 っている事態を  憂 い 、 上 記 の 目 的 の 下 、 2 0 1 7 年 ( 平 成 29 年 ) 1 月 、 長 崎 市 内 で 、 任 意 団 体 と し て 、 島 民 の 会 を 設 立 し ま し た 。 

現 在 、 会 員 数 は 、 端島 の 居 住 経 験 を 有す る 旧 島 民 ( 生 存 者 ) に 限 定 し て も 、 4 0 名 を 超 え て お り 、 名 誉 会 長 を 松 本 栄 、 会 長 加 地 英 夫 、 幹 事 長 を 中 村 陽 一 、 事 務 局 長 を 石 川 東 と す る 役 員 構 成 と な っ て お りま す 。 

 

以 上 の と お り 、 島 民 の 会 及 び 旧 島 民 は 、 端 島 に 関 す る 誤 解 や 悪 名 が 拡 散 し て い る 現状 を 憂いつつも 、斯 様 な 

誤解や悪名の起点 ( 情 報 源 ) は 、 一 体 、 ど こ に あ っ た の か 、そ し て 、 端 島 に 関 す る 虚 構 は 誰 が 責 任 を 負 う べ き な の か 、 必ず 、 真 実 を 解 明 し な け れ ばな ら な い と 考 え て き まし た 。

 

さ て 、 N H K 殿 の 福 岡 放 送 局 は 、 2 0 2 0 年 ( 令 和 2 年 ) 10 月 1 6 日 、「 実 感 ド ド ! 」 の 放 送 枠 で 、 戦 時 中 に お け る端島 の 炭 鉱 労 働 を 題 材 に 、 N H K 殿 が 自 ら 設 さ れ た 「 負 の 歴 史 を ど う 残 す の か 」 と い 論 点 ( 問 題 提 起 ) の 下 、タイ ト ル 名 を 「 憶 の 島 ~ ゆ れ る “ 歴 史 継承 ” ~ 」 と す る 番 組 ( 以 下 「 本 件 番 組 」 と い い ま す 。 ) を 放 映 され ま し た 。 

 

本 件 番 組で 紹介 されていた 産業遺産情報センターで 閲覧することのできる、戦時中又 は 終 戦 直 後 の 端島 で の 生 活 ( 炭 鉱 労 働 を 含み

ます 。 ) に 関 す る 旧 島 民 の 証 言 ( インタビ ュー 映 像 ) や 資 料 ( 日 記 等 の 記 録 )等によれ ば 、 戦 時 中 、 朝 鮮 半 島 か ら 自 由 意思で 端島 に 来 た 朝 鮮 人 炭 鉱 夫 ( 中 に は 家 族 所帯の朝 鮮 人 炭 鉱 夫 も 存 在 しま し た 。 ) の 他、徴用さ れ て 端 島 に 来 た 鮮 人 炭 鉱 夫 が 存在した 事 実 、 並び に 、 朝 鮮 人 炭  鉱 夫 と 日 本 人炭 鉱 夫 と が 共 に 同 じ 作 業 班 を 組んで炭鉱作業 を 協 働 し て い た 事 実 は 存 在 し 、 そ の こ と は、 旧 島 民 の 多 く が 証 言 し て いま す 。

ま た 、 旧 島 民 の 内 、 7 0 名 以 上 が 既 に イ ン タ ビュー を 受 け 、 所謂 「 徴 用 工 」 を含む 朝 鮮 人 炭 鉱 夫 に 対 す る 虐 待 及 び 日 本 人 炭 鉱 夫 と 差 別 し た 形 態 で の 労 働 の 強 制 ( 強 要 は 行 わ れ て い な か っ た 旨 を 証 言 し て い ま す。

な お 、 そ れ ら の 証 言 映 像 の 内 、 未 公開 のもの は 、 今 後 、 産 業 遺産 情 報 セ ン タ ー で 、順 次 、 公 開 さ れ る 予 定 と 聞 い て お り ま す。 

 

以上 の と お り 、 端 島 に お い て 、 戦 時 中 、 朝 鮮 人 炭 鉱 夫 が 、 坑 内 の 作 業 現 場 や 坑 外 の生 活 の 場 で 、 奴 隷 の 如 く 危 険 な 作 業 を 強 ら れ 、 あ る い は 、 奴 隷 の よ う な 生 活 を 強 い ら れ 、 さ ら に 、 日 本 人 か ら 虐 待 を 受 け て い た な ど と い う 事 実 は 、 全く あ りま せ ん 。  

しかし 、 本 件 番 組 は 、 韓 国 で 公 開 さ れ た 映 画 「軍艦島 」 に お け る 日 本 人 ( 日本 兵 ) に よ る 朝 鮮 人 炭 鉱 夫 に 対 す る 労 働 の 強 制 や 虐待の 数 シ ー ン を 一 部 編 集 ( カ ッ ト ) し て 放 映 さ れ ま し た 。 

 

こ の 韓 国 映 画 「 軍 艦 島 」 は 、 事 実 無 根の極 め て 悪 質 な 虚 構 で 、 斯 様 な 虚 構 を 以 て端島 を貶 め る 印 象 操 作 や 誹 謗 中傷 を 目 論 む政治的 な 映 画 で あ り 、 こ の 映 画によって、この映画までに端島 に 関す る 虚 構 を 拡 散 させ、端島を 貶 め て き た 書 籍 、 展 示 物 、 運動家の活動及び一部メディアの報道等と 相俟って、旧端島島民及び島民の会の結束はより一段と強固となりました。 

 

旧島 民 は 、 常々 、 端島を貶 め る 印 象 操 作 や 誹 謗 中 傷 に 関 し 、 ( 1 ) 朝 鮮 人 と さ れる 炭 鉱 夫 が 裸 で 狭 い 坑 道 で 横 ば い に なって 採炭 し て い る 写 真 、 並び に 、 ( 2 ) 戦後、 朝 鮮 人 の 何 人 か が 、 国内外 で 、 戦時中 、 端島で徴用工と し て 就 労 し 、 又 は、住民 ( 島 民 ) と し て 生 活 し た 際 、 徴 用 工 を 含む 朝鮮人 炭 鉱 夫 が 、 労 働 を 強 制 さ れ 、 奴 隷 の ような 扱 い や 暴 力 等 の 虐 待 を 受 け て い た な ど と 主 張 し た 内 容 を そ の ま ま 掲 載 し た 文 献 や 報 道 等 に つ い て 、 そ れ ら が 端 島 の 実 体 と は 全 く か け 離 れ た 事 実 無 根 の 虚 構 で あ っ た こと から 、 虚構 と は い え 、上 記 の と お り 、 それらの 起 点 ( 情 報 源 ) は 一 体 何 で あ っ た の かと 、 大 き な 謎 と し て 、とても 不 審 に 思 っ て お りま し た 。

 

この 度 、 一 般 財 団 法 人 産 業 遺産 国 民 会 議 ( 以 下 「 国 民 会 議 」 といいます 。 )より、 NHK 殿 ( N H K エ ン タ ― プラ イ ズ ) が 平 成 2 7 年 ( 2 0 15 年 ) 11 月 に 発 売 さ れ た DVD 「軍 艦 島 よ 永 遠 に ~ NHKアーカイブス よ り ~ 」 に 収 録 さ れ て い る 昭 和 30年 1 1 月 17 日 放 映 の H HK 短 編 映画 「 緑 な き 島 」 ( 以 下 「 本 件 短 編 映 画 」 と い い ま す 。 ) の 紹 介 を 受 け 、 上 記 虚 構 の 起 点 ( 情 報 源 ) が 本 件 短 編 映 画 で あ っ た こ と が 判 明 し ま し た 。 

 

先 ず 、 戦 時 中 も 、 戦 後 1 0 年 経 過 し た 昭 和 3 0 年 ( 1 9 5 5 年 ) 頃 も 、 端島 は 、 民 間 会 社 の 三 菱 鉱 業 株 式 会 社 ( 現 在 の 三 菱 マテリアル 株 式 会 社 、 以下 「 三 菱 鉱 業 」 と い い ま す 。 ) が 島 全 体 を 管 理 し 、 炭 鉱 業 を 経 営 し て いま し た 。 

 

昭 和 3 0 年 頃 、 端島 で 勤 務 していた 三 菱 鉱 業 の 社 員 及 び 旧 島 民 は 、 本 件 短編 映 を観 て 、 端 島 の 坑 道 内 と さ れ る 映 像 部 分 に い て は 、 以 下 の 理 由 で 、 端島 の 実 際 の 坑道内 を 撮 影 し た 映 像 で は な く 、 端島 ( 三 菱 鉱業 ) と は 全 く 無 関 係 な 炭 鉱 ( お ぞ ら く 、 筑豊の小 さ な 炭 鉱 ) の 坑 道 内 を 撮 影 し た 映像で あ る と 結 論 付 け ま し た 。 

すなわ ち 、 <1 > 当時 、 三 菱 鉱 業 が N H K 殿 に 坑 内 の 撮 影 を 許 可 し た 可 能 性 は 、坑内の 安 全 上 、 低 い と 思 わ れ る こ と ( もし、NHK 殿 の 映 画 ス タ ッ フ が 実 際 に端島の坑内に入 って 撮 影 し た と いう 客觀的証拠があるなら ば 、 開示 し て 下 さ い 。 ) 、 <2 >炭鉱夫 は 、 坑 道 内 で 作 業 服 を 着 衣 し て お り、映像 の よ うに 、 裸 の ふ どし 姿 で 作 業をすること は な か っ た こ と 、 < 3 > 法 令 上 、 映像のよ う に 、キャップ ラン プ を 付 け ずに、ヘル メ ッ ト に ラ イ ト 無 しで 作 業 さ せる ことはなか っ た こ と 、 < 4> 坑 内 に 入る前の映像 で は 、 炭 鉱 夫 は 作 業 服 を 着 衣 し て 、キャ ップランプを付けていま す が ( 端 島の映像と 解 さ れ ま す 。 )、 坑 内 の 映 像 に 切り替わる と 、 炭 鉱 夫 は 裸 の ふん ど し 姿 で 、 キャップラン プ を 付 け て お ら ず 、 映 像 の 前 後 に 矛 盾 ( 説 明 の 付 か な い 食 い 違 い ) が 生 じ て い ること、 < 5 > ピック で 採掘 し て い た の で 、 映 像 の よ う に 、ツルハ シ で 採 掘 す る こ と は なかったこと、<6> 主要坑道以外の採炭現場( 切 羽 ) の 坑 道 は 、 映 像 の よ う な 水 平 は な く 、 傾 斜 で あ っ た こ と 、 <7 > 採炭現場 ( 切 羽 ) の 坑 道 で も 高 さ は 1. 5 m位は確保 さ れ て お り ( 主 要 坑 道 の 高 さ はそれ以上 で し た ) 、映 像 の よ う に、  はって坑道を移動する こ と は な か た こ と 、 < 8 >端島は、ガス の 多 い 甲種 炭坑 に 分 類 さ れ ており 、安全のため、 法 令 上 、  電 球 は 防 爆 型 

の特殊な電 球 が 使 用 され なけ れ ば な ら ず 、 映像のよう な 裸 電 球 は 坑 道 内 で は 使 用 さ な か っ た こ と 、 <9 > ガスが多いた めに、映像 の よ う に 、 採 炭 現 場 ( 切 羽 ) で採炭に 爆 薬 を 使 う 発 破 を 行 う こ と は な か ったこと、 < 1 0 > 粉 炭 で 炭 鉱 夫 の 顔 面 や 着 衣 は 真っ黒 に な る の に 、 映 像 の 炭 鉱 夫 は 顔面や ふんどしに 粉 炭 の 付 着 は 無 く 、 白く 綺 麗 な ま で 、 端 島 で は 有 り 得 な か っ た こ と ( 映 像 の た め の 作 業 と 推 測 さ れ る こ と ) 、<11> 作 業 中 の 炭 鉱 夫 の 一 人 が 腕 時 計 を 付 けてお り 、 端 島 で は 有 り 得 な か っ た こ と 、 これら に よ り 、 本 件 短 編 映 画 の 坑 道 内 の 映 像 ( カ ッ ト ) は 、 全 て 、 端島 で は 現 実 に は 有 り 得 な い 内 容 で あ る と 断 言 す る こ と が で き ま す。

以 上 の と お り 、 本 件 短 編 映 画 に お い て 端島 の 坑 道内 と さ れ る 映 像 ( カ ッ ト ) は 、 全 て 、 他 の 炭 鉱 ( お ぞ ら く 筑 豊 の 小 さ な 炭坑 と 推測 さ れ ま す 。 ) 等で 撮 影 さ れ た 映 像 

を、N H K 殿 が 編 集 に よ り 端 島 の 映像として組み込んだものと認め ら れ 、 端 的 に 言 え ば 、 N H K 殿 は 、 本 件 編 映 画 に お い て 、 端島 の 坑 道内 の 状 況 を 意図 的 に ( 故 意 に ) 捏 造 さ れ た こ と に な り ま す 。 

 

本 件 短 編 映画に関し、上記のNHK殿によ る 捏 造 行為 について、島民の会は、NHK殿に対し、厳重に抗議します。 

さらに 、 国 民 会 議 の 調 査 に よ り 、 端島 を 批判 的 に 紹 介 す る 文 献 で 度 々 引用 さ れ 、 ま た 、 韓 国 で も 大 々 的 に 報 道 又 は 公 表 されてい る 端 島 で 戦 時 中 に 撮影 されたとする 写真 、 具体 的 に は 、 戦 時 中 、 端 島 の 炭 鉱 で 、朝 鮮 人 と さ れ る 炭 鉱 夫 が 裸 で 狭 い 坑 道 で 横ばいになって採炭している写真については 

、 すでに、戦 後 の 昭 和 3 0 年 代に、筑豊の小さな 炭 鉱 で 撮 影 さ れ た 写 真 であって、端島及び朝鮮人 徴 用工 と は 全 く 無関係であることが 判明 し て お り ま す 。 

加 え て 、 戦後 、 端 島 の 炭 鉱 で 、朝鮮 人 徴用工と し て 、 奴 隷 の よ うに 働 か さ れ た と 証言 し た チ ェ . チャンソプ氏 及び本件番 組 でその 生 前 の 証 言 等 が引用 さ れ た ソ . ジョンウ(徐正雨)氏 に ついて は 、チェ・チャンソプ 氏 が 1 年 中 、フンドシ 姿 で ツルハシを使って 採 炭 し た と か 、ま た 、ソ・ジョンウ(徐 正 雨 ) 氏 が う つ 伏 伏 せ で 掘 る し かない狭 さで、 生きて 帰れ な い と 思った と か 、 全て 、 本 件 短 編 映 画 の 映 像 に 沿った 内 容 ( つま り 、 虚 構 ) を 証言 し て いま す 。 

 

すなわち 、上 記 の 各 証 言 の い ずれ も 、 端 島 の 炭 鉱 の 実 体 に 反 す る 虚 構 で す が 、 自 らが体験していないことであるにもかか らず 、 本 件 短 編 映 画 の 映像 に 合 わ せ て 、 あ た か も 自 ら 体 験 し た か の 如 く 、 虚構 が 証言さ れ た こ と を 端 的 に 意 味 し ま す 。 

 

そうす る と 、 本 件 短編 映 画 は 、少なくと も 端 島 の 炭 鉱 の 坑 道 内 の 映 像 に つ い て は 、N H K 殿 が 捏 造 し た 虚構であるにもかかわ ら ず 、 こ の N H K 殿 に よ り捏造 さ れ た虚構 が 、 後 に 、 端 島 の 炭 鉱 で 徴 用 工 と し て 就 労 し た 朝 鮮 人 炭 鉱 夫 又 は そ の 家 族 と 称 す る 証言者 ら へ と 、 虚 構 の ま ま 伝 承 さ れ 、 そ れ ら の証 言 者 に お い て 、 あ た か も 、 端島の炭鉱にお

け る 徴 用 工 の 労 働 実 体 が 、 奴 隷 の よ うな労 働 、 又 は / 及 び 、 虐 待 を 伴 う 労 働 で あ った と す る 「 負 の イ メージ 」 と し て 既 成 事実化 さ れ て き た こ と に な り ま す 。 

 

実 際 、 韓国 ( 釜 山 ) で は 、 本 件 短 編 映 画 は、 公 的 な 資 料 館 ( 国立 日帝 強制動員 歴史館)で映像資 料 と し て 公 開 さ れ て お り 、 ま た、本件短 編 映 画 を 素 材 と し て 、 あ た か も、端島 に お い て 、 日 本 人 ( 戦 時 中 、 端 島 に 駐 屯 し て い な い 日 本 兵 ) に よ り 、 朝 鮮 人 徴用工が奴 隷 の よ う に 扱 わ れ 、甚だ し い 人 権 侵害の虐 待 ( 大 量 殺 人 を 含 み ま す 。 ) を 受けたか の 如 く の 韓 国 の 反 日 映 画 「 軍艦 島 」が 制作 ・放 映 さ れ 、 韓 国 内 で 激 し い 反日 感情 が 扇 動 さ れ る と い う 事 態 を 招 き ま し た 。 

 

し た が いま し て 、 端島 に 関 す る 虚構 の 「 負 の イメージ」 を 既成 事 実 化 さ せ た 根 本 的 な 原 因 ( 元 凶 ) は 、 N H K 殿 が 捏 造 された 本 件 短 編 映 画 で あ っ た こ と に な り ま す 。

 

なお 、 旧 島 民 の 中 に は 、 1 9 48年(昭和 2 3 年 ) 頃 、 端島 で 、 映 画 会 社  の 松  竹 が 端 島 を 舞 台 と し た 「 緑 な き 島 」 と い う 題名の娯楽 映 画 を 撮 影 し 、 そ の 完 成 後 、 上映された同 映 画 を 鑑 賞 し た こ と を 鮮 明 に 記憶し ている旧島民 が 多 数 存在し し ま す が 、 後 年 、同じ題名 の本 件 短編映画がテレビ放映された ことを記憶している旧島民は殆どおらず、本件短編映画に関し、NHK殿が松竹の上記映画の題名を無断で冒用された疑惑が生じていることも、併せて付言します。

 

以 上 の 次 第 で 、 島 民 の 会 は 、 N H K 殿 に 対 し 、 N H K 殿 が 、 【1】 本 件 短 編 映画の内 、 少な く と も 端 島 の 坑 道 内 と さ れ る 映像部分に 関 し 、端 島 の 坑 道 内 の 映 像 で はないこと 等 に ついて 、 経 緯 や 原 因 を 徹 底 的 に 調査の 上 、 N H K 殿 に 有 利 か 不 利 か を 問わ ず 、 その調査 結 果 を 全 て 公 表 す る こ と 、 【2】 本件短 編 映 画 の 内 、 端島 の 坑 道 内 の 映像部分 に 関 し 、 虚 構 で あったこ と に ついて、速やか に 、 韓 国 を 含 む 全 世 界 に 対 し 、 公 に、訂正の 報 道 を 行 い 、 そ の 訂 正 を 周 知 徹 底 せ る こ と 、 【3】 本 件 短 編 映 画 の 内 、 少なく と も 坑 道 内 の 映 像 部 分 の 全て につい ては、韓 国 ( 釜 山 ) の 国立 日 帝 強制動員 歷史館を含む 保 有 者 か ら 、コピー ( 写し ) を 残 存 さ せ る こ と な く 完 全 に 回収す る こ と 、 並び に、【4】 NHK 殿が捏造された本 件 短編映画 

を 起 点 ( 情 報 源 ) と し て 世 界 的 に 拡 散 し た 端島 に 関 す る 虚 構 ( 誤 解 や 悪名 ) に よ り 、長期間 に わ た り 、 端 島 で 生 き た 誇 り や 自 尊 心を 踏 み 潰 さ れ 深く傷つけら れ た 、 戦 時 中 、端島で生活 し て い た 旧 島 民 ( 生 存 者 ) 及 び そ の 遺 族 の 全 員 一人一人 に 対 し 、 正 式 に 書 面 で 、 真 摯 に か つ 丁 寧 に 謝 罪 し た 上 、 適 正 な 慰 謝 の 措 置 を 講 じ る こ と を 求 め ま す 。 

 

も し 、 N H K 殿 が 、 戦 時 中 の 大 本 営 の 如 く横 柄 に も 、 N H K 殿 自 ら の 「 負 の 歴 史 」 で あ る 本 件 短編 映 画 に 真摯 に 向 き 合 う こ を 拒 否 さ れ る な ら ば 、 「 人 に 厳 し く 、自分に 甘 い 」 だ け の ブラックジャ ― ナ リズ ム に 過 ぎ ず 、最 早 、 端 島 に 関 し 、 「 負 の 歴 史 をどう 残 す の か 」 な ど と 、 大 言 壮 語 に 問 題 提起 す る こ と は 断 じ て 許 さ れ な い は ず で す。 

 

そ こ で 、 N H K 殿 が 、 2 0 2 0 年 ( 令 和 2 年 )1 2 月 8 日 ( 火 曜 日 ) ま で に 、 当 職 に 対 し 、上 記 【1】 の 調 査 結 果 を 公 開 書面 で 報 告 し た 上 、上記 【2】 乃至 【 4 】 に い て 、同年 1 2 月 1 5 日 ( 火 曜 日 ) ま で に 対 応 す る 旨 を 書 面 で 回 答 さ れ な い 場 合 、 又 は 、 書面 で 回 答 さ れ て も 、 曖 昧 模糊 な 詭弁や 

方便 で 責 任 を 回 避 す る 対 応 を 取 ら れ る 場 に は 、 旧 島 民 は 、 直ち に 、 < 1 > 放 送 倫理・ 番 組 向 上 機 構 ( BP 0 ) に 対 し 、 本 件 番組に 関 し 、 放 送 法 第 4 条 1 項 2 号 ( 政 治的公 平 の 原 則 ) 、 3 号 ( 事 実 の 歪 曲 禁 止 ) 及び4 号 ( 対 立 意 見 に 関 す る 多 角 的 な 見 地 から の 論 点 検 証 ) に 抵 触 す る と し て 、申し 

立てを行 う と 共 に 、 < 2 > N HK殿に対し、 不 法 行 為 に よ る 損 害 賠 償 請 求 訴 訟 ( 集 団 訴 訟 ) を 提起 す る こ と を 通 知 し ます。 

 

最 後 に 、 連 絡 等 の 窓 口 が 複 数 に な る こ と に よ る 混 乱 を 回避 す る た め 、 N H K 殿 又 はその 関 係 者 が 、 本 件 又 は 本 書 に 関 す る一切の事 項 に ついて 、島民 の 会 の 会 員 及び役員、

並 び に 、その 親族に面 談 ・連 絡等を要 求 さ れ て も 、 当 職 の 指 示 に よ り 、 対 応 す る こ と は 一 切 あ り ま せ で 、 N H K 殿 におか れ て は 、 斯 様 な 行 為 は 厳 に お 控 え 下 さい。 

 

本 件 又 は 本 書 に 関 連 す る 一 切 の 事項に関して、ご意見、 ご 質 問 等 が あ る 場 合 には、 当職宛に、直接、ご 連 絡 下 さ い 。 

謹白 

 

この郵便物は令和 2年 11. 月20日 

第54983 号書留内容証明郵便物として

差し出したことを証明します。 日本郵便株式会社