2017/12/22NEW

坑外図でみる端島の変遷

年代ごとの坑外図から、端島の変遷をたどります。終戦までの端島の様子を知ることができます。
長崎市教育委員会『史跡 高島炭鉱跡 高島北渓井坑跡・中ノ島炭坑跡・端島炭坑跡 保存管理計画書』より

 

明治30年(1897年)~明治40年(1907年)


明治23年、端島を買収した三菱社により第二竪坑、第三竪坑が開発され、島の拡張が進められた。
出典:三菱礦業株式会社高島礦業所 1953『端島礦概要』をもとに作成

大正6年(1917年)


第二竪坑が人の昇降と排気、第三竪坑が石炭や材料の運搬と入気と使い分け、蒸気力と電力により機械を動かしていた。
出典:山田義勇1918「高島炭礦端島坑報告」(付図別冊)九州大学所蔵 をもとに作成

大正10年(1921年)


第二、第三竪坑に加え、第四竪坑が開削され、製塩も行われていた。
出典:隈部農 1922「高島炭礦端島坑実習調査報告書」(附図あり)九州工業大学所蔵 をもとに作成

昭和3年(1928年)


第二、第三、第四竪坑が同時に稼働し、二子発電所から受電が始まっていた。
出典:簑田直規 1930「三菱高島鉱業所端島坑実習報告」九州工業大学所蔵 をもとに作成

昭和12年(1937年)



第二竪坑が入気、第四竪坑が排気で定着し、選炭、貯炭、積込の施設が整ってきた。
出典:柴雲千鶴雄1938「高島鉱業所端島坑実習報文」北海道大学所蔵 をもとに作成

昭和14年(1939年)


大型の労務者合宿所が建設されている。
出典:昭和14年11月11日 清水建設設計資料

これより戦後

昭和21年(1946年)~昭和23年(1948年)


戦後復興が進み、生産体制を整えた。
出典:白倉忠男 1951「三菱高島端島坑報告」九州大学所蔵 をもとに作成

昭和30年(1955年)


深度化を図り、選炭、貯炭、積込など機械化が進められた。
出典:松永極 1955「三菱高島鉱業所高島坑実習報告」九州大学所蔵 をもとに作成

昭和49年(1974年)


三ツ瀬区域の機械化採炭など新たな挑戦が進められたが、湧水や硫化水素ガス問題に直面した。
出典:端島労働組合 1966『軍艦島 端島労組解散記念史』をもとに作成

1974年1月15日 端島炭鉱 閉山

現況


出典:長崎市 2014『高島炭鉱調査報告書』端島地形図現況平面図 をもとに作成